現実科学レクチャーシリーズ

Vol.37 ハヤカワ新書『現実とは? ――脳と意識とテクノロジーの未来』出版記念レクチャー(2023/7/14開催)

デジタルハリウッド大学と現実科学ラボがお届けする「現実科学 レクチャーシリーズ」。

「現実を科学し、ゆたかにする」をテーマに、デジタルハリウッド大学大学院 藤井直敬卓越教授がホストとして各界有識者をお招きし、お話を伺うレクチャー+ディスカッションのトークイベントです。

Twitterのハッシュタグは「#現実とは」です。ぜひ、みなさんにとっての「現実」もシェアしてください。

『現実とは?: 脳と意識とテクノロジーの未来』
(ハヤカワ新書) 

通常版(1078円(税込))を購入する

NFT電子書籍付版(1,518 円(税込))を購入する

概要

  • 開催日時:2023年7月14日(金)18:00~20:00
  • 実施会場:Zoom/デジタルハリウッド大学駿河台キャンパス

チケット種別

(1)オンライン参加のみ

(2)オンライン参加+書籍

(3)会場参加のみ

(4)会場参加+書籍

オンライン参加のご注意事項

  • 当日の内容によって、最大30分延長する可能性がございます。(ご都合の良い時間に入退出いただけます。)
  • 内容は予期なく変更となる可能性がございます。
  • ウェビナーの内容は録画させていただきます。

会場参加のご注意事項

  • 待機時の咳エチケットを遵守ください。※咳・くしゃみをする際は、マスクやティッシュ・ハンカチ、袖を使って、口や鼻を押さえて頂きますようお願いいたします。
  • イベント中に体調が悪化するなど変化、気分が優れない場合は、無理をなさらずに お近くのスタッフまでお申し出ください。
  • マスクの着用は個人の主体的な判断を尊重いたしますが、イベント当日は他のお客様も参加、来場いたします。周囲の方やご自身を守るための判断を推奨いたします。
  • 会場内では各種取材が入る場合がございます。取材時に撮影された写真・動画が主催者による広告物・掲載物などに使用される可能性もございます。予めご了承ください。

プログラム(120分)

  • はじめに
  • 現実科学とは:藤井直敬
  • 書籍紹介:藤井直敬
  • パネルディスカッション:安田登氏 × 伊藤亜紗氏 × 藤井直敬

登壇者

安田 登(やすだ のぼる)

下掛宝生流ワキ方能楽師。
高校教師時代に能と出会い、27歳で鏑木岑男師に弟子入り。能楽師のワキ方として国内外を問わず活躍し、能のメソッドを使った作品の創作、演出、出演などを行うかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を全国各地で開催。著書に『能』(新潮新書)、『あわいの力』(ミシマ社)、『見えないものを探す旅』(亜紀書房)など。

伊藤 亜紗

伊藤 亜紗(いとう あさ)

東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長。
同リベラルアーツ研究教育院教授。専門は美学・現代アート。『記憶する体』(春秋社)を中心とする業績で第42 回サントリー学芸賞を受賞。著書に『目の見えない人は世界をどう見ているのか』光文社新書)、『どもる体』(医学書院)

藤井 直敬(ふじい なおたか)

医学博士/ハコスコ 代表取締役社長
XRコンソーシアム代表理事、ブレインテックコンソーシアム代表理事
東北大学医学部特任教授、デジタルハリウッド大学学長補佐兼大学院卓越教授
1998年よりMIT研究員。2004年より理化学研究所脳科学総合研究センター副チームリーダー。2008年より同センターチームリーダー。2014年株式会社ハコスコ創業。
主要研究テーマは、現実科学、適応知性および社会的脳機能解明。

共催

REPORT

新著に掲載された過去8回分のレクチャーを振り返る

第37回 現実科学レクチャーシリーズは、藤井教授が6月20日にハヤカワ新書より『現実とは? ――脳と意識とテクノロジーの未来』を上梓したことから、その出版記念として特別編で開催されました。リアル会場とオンラインのハイブリッド形式で実施した今回のレクチャー。下掛宝生流ワキ方能楽師の安田登さんと、美学・現代アートを専門に身体について研究されている研究者の伊藤亜紗さんをゲストにお招きし、新著の内容も踏まえたさまざまなお話が飛び交う濃密な1.5時間となりました。

今回出版された藤井教授の新著『現実とは? ――脳と意識とテクノロジーの未来』。この書籍は、藤井教授がこれまでに現実科学レクチャーシリーズでお話を伺ってきた8名のゲストのお話をもとに、「現実とは」をさまざまな角度から考え、読者に問う内容となっています。

まずは藤井教授が書籍の目次を紹介しながら、書籍内に掲載されている過去8回分のレクチャーを、各ゲストが語った言葉をワードクラウドで可視化したスライドとともに簡単に振り返りました。

藤井教授は過去のレクチャーを振り返る中で、このイベントを開催する醍醐味について、「『現実とは』ということを普段は考えない。だからこそ、どんなゲストもレクチャーの中で思いがけない言葉を発することがあり、おもしろい」と言及。

そして、慶応義塾大学 環境情報学部の今井むつみさんが登壇された回のスライドでは、昨今話題のChatGPTにも話題が広がりました。

今井さんは、「世の中は言葉で構成されている」という論に基づきながら、レクチャーを実施。藤井教授はChatGPTが大きく進化した現状を目の当たりにしたとき、改めて今井さんの講義内容を思い出し「僕らの世界は言葉でできあがっているのだという事実に、とても驚いた」と語りました。

能の謡(うたい)は「人の無意識」に触れ、場の空気を変える

過去のレクチャーの振り返りは、いよいよ伊藤さんと安田さんが登壇された回のものへ。

伊藤さんは自身の発言内容がまとまったワードクラウドの結果を見て、「『現実』については、普段しない話。象徴界の話もいつもは触れないことなので、自分の言葉のような感じがしない」とコメント。

安田さんのレクチャーについては、安田さんが夏目漱石の小説『夢十夜』を能楽にして披露した様子もダイジェストで動画を視聴しながら、振り返りを行いました。

安田さんの動画を見終えた後、藤井教授は安田さんが『夢十夜』の舞を始める前に、唸り声のような能特有の声を出したことに言及。「あの声で場の空気がガラッと変わったように思う。あれにはどのような意味があるのか。何かを呼んでいるのか」と、安田さんに尋ねました。

安田さんはその質問に対し、伊藤亜紗さんの著書『手の倫理』に書かれていた「触れる」と「触る」の違いに言及しながら回答しました。「触れる」という言葉は双方向的なコミュニケーションの意味合いを含み、「触る」という言葉はある種暴力的な、一方的な行為というニュアンスを含みます。そうした前提をもとに考えると、日本の音楽の「さわり」、すなわちノイズは、人の心の触れてはいけない部分に触れているのではないかと安田さんは持論を展開。大きく震えるような「さわり(ノイズ)」の声を出すことで、能の謡(うたい)は人の無意識に触れている。だからこそ、場の空気が大きく変わるのだと、安田さんなりの考えを述べました。

藤井教授はその話を受け、安田さんが実際に能の謡を行っている際の感覚について「人の心に触れている感覚はあるか」と質問。安田さんは少し考えた後、「人というよりも《場》に引っかかる感じがある。霊が降りてくるのを待ち、霊に向かって謡っている感覚がある」と語りました。

2人の議論を静かに聞いていた伊藤さんは、『人間はなぜ歌うのか? 人類の進化における「うた」の起源』(ジョーゼフ・ジョルダーニア)という本で読んだのですが、人類が歌うようになった理由について、一説に『自分を食べようとする動物を追い返す手段として、ポリフォニーで歌い、集団トランスのような状態を作ることが有効だった』というものがあるらしい。安田さんの謡には、その話に通じるような生々しい怖さや武器的な強さを感じる」と、身体の歴史的な観点からの感想を述べました。

幽霊に「触れる」ことはできるのだろうか?

そして、話題は伊藤さんの『手の倫理』に書かれた「触れる」と「触る」に関する議論から「死は触れることができない」という話へと発展し、能楽が多くの演目で主人公として登場させる「幽霊」の話へ。

伊藤さんが書籍に書いた内容を踏まえれば、「死」は双方向的なものではないため、死体や死者には「触れる」ことができず、ただ一方的に「触る」ことになります。しかし、安田さんは能を舞う中で「霊に『触れる』ような感覚を持つことが多い。亡くなっているが、亡くなっていない。能においては、幽霊を呼ぶ役を演じる中で、夢すらもコントロール可能だと感じることがある」と語ります。

藤井教授はその話を受け、安田さんに「その世界観は能に特有のものなのか」と尋ねました。安田さんは、幽霊が主人公となる芸術は他国にも例がないと話しながら、一方で個人の経験としては、「死者に触れる」という感覚に近い経験をしたと語り始めました。

安田さんは実の母親がレビー小体型認知症を患い、よく「幽霊が見える」と話していたのだそうです。母親が幽霊の存在を感じているとき、それを否定することなく、母親を介してその幽霊に話しかけるつもりで、いろいろな会話を楽しんでいたという安田さん。「数年間のできごとだったが、おもしろかった。母親のふるまいから霊を感じ取れるような気がして、能を演じているときと近い感覚があった」と、独特の体験を披露しました。

その話を受け、伊藤さんが過去にされていた話を思い出した藤井教授。「伊藤さんの以前のお話の中で、統合失調症の患者さんが聞いている幻聴を『幻聴さん』として受け入れて、その存在を前提に物事が進んでいくというものがあった。今の安田さんの話は、その事例と通じるものがありおもしろいと感じた」と、感想を語りました。

伊藤さんもその話に同意しながら、「今のお話で、昨年亡くなった精神科医の中井久夫先生を思い出した。中井先生はよく往診に行く医師だったが、その理由は、患者さんの暮らす空間をリアリティを持ってつかむことがその人のことを理解する鍵となるからだとおっしゃっていた。物理的な空間の中に、その人の心があるという感覚。そのことを突き詰めて考えていくと、藤井教授がよくレクチャーシリーズの冒頭でお話する『現実とは』の四象限の話にもつながってくるかもしれないと思った」と、考えを述べました。

言葉と土地、地名と記憶の不思議な関係性

伊藤さんの空間と心の関係に関する話を聞いて、安田さんは「能の主人公である幽霊は、旅をしない」と語り始めました。安田さんのような能楽師のワキ方が務める役柄は、幽霊のいる土地に訪れ「問う」演技をすることで、主人公である幽霊に話し始めてもらうのだそうです。

その話を興味深そうに聞いていた藤井教授が「問われた幽霊はどうなるのか?」と尋ねると、安田さんは「未練のある幽霊は、問われると一度は昇華するが、また戻ってしまう。問い続け、聞き続ける。それが能楽だ」と答えました。

霊は自身の語る言葉によって、その場所にとどまって定着してしまうということに、改めて興味深くうなずいた藤井教授。安田さんは続けて、日本の地名と記憶の不思議な関係についても話し始めました。

日本では、和歌を詠む表現技巧の一つとして「歌枕」というものがあります。歌枕とは、古来より多くの歌に詠みこまれた名所や地名を自分のつくる歌に入れ込むことです。歌枕として使われてきた土地には、枕という言葉が「心霊の倉」という意味を持つように、さまざまな人の想いや記憶が集積されているのだと安田さんは語ります。日本のあらゆる土地に、そうした記憶が集積されており、霊が宿っている。その一部を表現したものが、能楽なのだと安田さんは説明しました。

言語化が必要な「願い」と感嘆詞で表現可能な「祈り」

藤井教授はここで、伊藤さんがレクチャーシリーズに登壇された際の現実の定義に言及。

「祈りのあるところ」と語った伊藤さんの真意について、改めて尋ねました。

伊藤さんは身体について研究を進めていくと、無限に拡張していく人間の想いとは裏腹に、体は非常に有限性の高いものであることを痛感するといいます。病気になる、死ぬといった人間にはどうしようもない物事と向き合わざるを得ないとき、「祈るしかない」と感じる場面によく出くわすのだそうで、身体の有限性と向き合うという観点から定義を考えた結果、「祈りのあるところ」という言葉が出てきたのだそうです。

その話を聞いていた安田さんは「祈り」と「願い」の意味やニュアンスの違いに言及。安田さんは「願いには言語化が必要だが、祈りは自分の全身が想いであれば、言葉にする必要がない」と語り、その究極の例として、源氏物語の根底に流れる「もののあはれ」の感覚について説明しました。「もののあはれ」は、例えば恋で散り散りになってしまった心を、恋の苦しみや悲しみ、喜びなどすべての感情がつまった「ああ(あはれ)」という言葉だけで捕まえることができるという感覚なのだそうです。そうした日本古来の感覚について学びを深めた後、本日のレクチャーシリーズはまとめへと向かいました。

安田さんと伊藤さん、2人にとっての「現実」とは?

最後に、安田さんと伊藤さんにとっての「現実とは」をお伺いしました。

まず、安田さんは「現実とは何なのか、今はもうさっぱり分からない」と、壮大な問いを前に再び定義を考える難しさについて前置きしつつ、現実について「エクスパンションする世界」と定義しました。安田さんがこの言葉を選んだ理由としては、本日の約1時間半の議論を経て、現実の定義はひとつの言葉に収まらず、常に広がっていく感覚を得たことが大きかったそうです。

続いて、伊藤さんの定義を伺います。伊藤さんは、現実を「関係の中に生まれるもの」と定義しました。本日のレクチャーの内容は「何らかの物事に相対して、自分の状態がある形に自然とつくられていくという話が多かった」ことを踏まえると、このような定義が頭の中に浮かんだのだと言います。

安田さんと伊藤さん、それぞれに異なる視点からの現実の定義をお伺いし、本日の現実科学レクチャーシリーズ「ハヤカワ新書『現実とは? ――脳と意識とテクノロジーの未来』出版記念レクチャー」を盛況のうちに終えました。