現実科学レクチャーシリーズ

Vol.36 平野啓一郎先生レクチャー(2023/6/29開催)

デジタルハリウッド大学と現実科学ラボがお届けする「現実科学 レクチャーシリーズ」。

「現実を科学し、ゆたかにする」をテーマに、デジタルハリウッド大学大学院 藤井直敬卓越教授がホストになって各界有識者をお招きし、お話を伺うレクチャー+ディスカッションのトークイベントです。

Twitterのハッシュタグは「#現実とは」です。ぜひ、みなさんにとっての「現実」もシェアしてください。

概要

  • 開催日時:2023年6月29日(木)19:30~21:00
  • 参加費用:無料
  • 参加方法: Peatixページより、参加登録ください。お申込み後、Zoomの視聴用リンクをお送りいたします。
    視聴専用のセミナーになりますので、お客様のカメラとマイクはオフのまま、お気軽にご参加いただけます。

ご注意事項

  • 当日の内容によって、最大30分延長する可能性がございます。(ご都合の良い時間に入退出いただけます。)
  • 内容は予期なく変更となる可能性がございます。
  • ウェビナーの内容は録画させていただきます。

プログラム(90分)

  • はじめに
  • 現実科学とは:藤井直敬
  • ゲストトーク:平野啓一郎氏
  • 対談:平野啓一郎氏× 藤井直敬
  • Q&A

登壇者

平野啓一郎

1975年愛知県蒲郡市生。北九州市出身。京都大学法学部卒。
1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。40万部のベストセラーとなる。以後、一作毎に変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。
著書に、小説『葬送』、『滴り落ちる時計たちの波紋』、『決壊』、『ドーン』、『空白を満たしなさい』、『透明な迷宮』、『マチネの終わりに』、『ある男』等、エッセイに『本の読み方 スロー・リーディングの実践』、『小説の読み方』、『私とは何か 「個人」から「分人」へ』、『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』、『考える葦』、『「カッコいい」とは何か』、『死刑について』等がある。
2019年に映画化された『マチネの終わりに』は、現在、累計60万部超のロングセラーとなっている。『空白を満たしなさい』の連続ドラマ化に続き、『ある男』を原作とする映画が2022年秋に公開。
最新作は、「自由死」が合法化された近未来の日本を舞台に、最新技術を使い、生前そっくりの母を再生させた息子が、「自由死」を望んだ母の、<本心>を探ろうとする長編小説『本心』。

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藤井 直敬

医学博士/ハコスコ 代表取締役社長
XRコンソーシアム代表理事、ブレインテックコンソーシアム代表理事
東北大学医学部特任教授、デジタルハリウッド大学学長補佐兼大学院卓越教授
1998年よりMIT研究員。2004年より理化学研究所脳科学総合研究センター副チームリーダー。2008年より同センターチームリーダー。2014年株式会社ハコスコ創業。
主要研究テーマは、現実科学、適応知性および社会的脳機能解明。

共催

現実科学ラボ
REPORT

対義語から考える「現実の定義」とは

2020年6月に第1回を開催してからちょうど3年が経過した、現実科学レクチャーシリーズ。

そのような節目と重なった第36回のレクチャーは、小説家の平野啓一郎さんにお越しいただきました。

平野さんといえば、映画化された『マチネの終わりに』や『ある男』、ドラマ化された『空白を満たしなさい』といった作品に触れたことがある方も多いかもしれません。1975年に愛知県で生まれ、福岡県北九州市で育った平野さんは、京都大学法学部の在学中に『日蝕』という作品で第120回芥川賞を受賞。以降、小説家として多彩なスタイルの作品を発表し、ベストセラーや映像化作品を多数生み出しています。

今回はそんな平野さんと藤井教授が対談する形で、レクチャーシリーズが進められました。

まずは平野さんが考える「現実の定義」について、話を伺っていきます。平野さんは定義を考えるにあたって、「現実」という言葉の対義語に着目したと語り始めました。現実の対義語には、夢、フィクション、インターネット、願望、妄想、仮想、加工、メタバース、認識、記憶、甘い考え、などの多様な言葉が存在しています。それらの対義語が持つ意味を考えてみると、現実とは「ひとつの限定的な存在」、あるいは「人間の頭が生み出す世界像を否定するもの」と考えることができそうです。

平野さんはそのような「現実」という言葉が持つニュアンスについて、芥川龍之介の言葉を紹介しながら、「思い通りにならないもの」という意味が強いと指摘します。ただ、昨今は自分の容姿なども写真の加工アプリや整形などで変えることができることから、「現実が『ままならないもの』から、いろいろと願望に沿うようなものへと変質していきている気がする」と、現代における「現実のあり方」について考えを述べました。

小説執筆は、悩みに対して薬を調合する作業のようなもの

そのような平野さんの話を受け、藤井教授は「ままならないものに対して抗うというのは、人間が日々行っていることのように思う。その際に改変されるのは『自分の現実』か『ほかの人の見ている現実』か、どちらだと思うか」と平野さんに問いかけました。

平野さんは藤井教授の問いについて、三島由紀夫が同様のテーマを考え続けてきたことに触れながら、自分と他者の現実の改変が循環して起こっているのではないかと一つの捉え方を提示。問題解決の際に書籍を読んだり、誰かのアドバイスを得たりして自己の認識を変えようとするとき、社会に共有された何らかのアイデアのおかげで自己変容が起きるため、自己と他者の現実の循環がずっと繰り返されている状態だと言えると思うと、考えを述べました。

藤井教授はさらに、平野さんにとって「切実に変えたい現実」はあるかと質問。平野さんは、子ども時代や学生時代に抱えていた悩みや葛藤を告白しました。平野さんは10代の頃、クラスで一人だけ考え方が違うなど、社会や世界と自分との関係に悩み、生きにくさを感じていたといいます。そのような悩みと向き合うために本を読むようになった平野さん。読書を通じて自分の中の考え方や認識が変わることで、社会とのかかわり方も変化していったと語ります。

その話の流れから、話題は平野さんが小説を書き始めた理由と執筆時に意識していることへ。平野さんは「自分の中に悩みがあまりにもありすぎて、その悩みに効く薬を自分で調合しているようなイメージで小説を書き始めた。自己の存在やアイデンティティについて、いろいろな本を読んだがどれも腑に落ちることがなくて、それで自ら薬をつくるかのように小説を書くことにした」と、小説を書くに至った経緯を話しました。

さらに「僕の悩みが世界との関係性から生じているものである以上、自分に効く薬であれば、似たような人にも効果があるのではないかと、小説に対する期待感を持っていた」と、小説という媒体の影響力に対する思いを明かしました。

亡き母を最新技術で蘇らせる物語『本心』が生まれた背景

ここで藤井教授は、平野さんの小説『本心』に言及しました。『本心』は、平野さんの最新作にあたる長編小説。自由死が合法化された近未来の日本を舞台に、XRなどの最新技術を使いながら生前そっくりの母親を再生させた息子が、自由死を望んだ母の本心を探ろうとするストーリーです。

藤井教授は自身の研究分野とも重なりがあることから、この小説を興味深く読んだといい、なぜこの物語が生まれるに至ったのか経緯を尋ねました。平野さんはその質問に対し、「VRなどを使って死者をよみがえらせるというテーマは以前から興味があった」としながら、『本心』の執筆には自身が早くに父親を亡くした経験と世相が関係していると話します。

平野さんは1歳のときに父親を亡くしたため、父親に関する記憶はないそうです。しかし、母親や姉から父親に関する様々な話を聞いていたこと、遺影やビデオテープの形で残っていた父親の足跡に触れていたことで、その存在を感じ取っていたといいます。そのため、メディアがもたらす現実感や、双方向性のある遺影が出てくる可能性にかねてから関心を持っていたと語ります。

また、『かたちだけの愛』という小説で義足について書いた際、当時の社会は義足を「偽物」と捉える風潮が強かったことに言及。「偽物と本物」というキーワードに思いをはせたとき、「親の死の克服」はそう簡単にできるものではないことから、「インタラクティブな形で故人を生き返らせる」という物語の原案を思いついたといいます。

「双方向にコミュニケーション可能な形で故人をよみがえらせるのは、一見すると“気持ち悪いこと”と思われるかもしれないが、当事者にとっては『本物ではないことは百も承知で、心の穴を埋めるために依存したい存在』になるのではないかと思った。そういう状況に対して、親が健康に生きている側の人が『そんなの偽物だ』とは言えないのではないかと考えた」と、『本心』という物語が生まれた思考の過程を披露しました。

テクノロジーは「死」の経験に変化をもたらした

藤井教授はその話を受け、最近経験した「友人の死」について話し始めました。シカゴにいた友人が病気で亡くなった際、臨終の様子がオンラインで友人・知人や家族に配信されたほか、友人や知人向けの「お別れの会」は、世界中に友人が点在していることから、オンラインとオフラインのハイブリットで行われたといいます。

藤井教授は、「知らない間に亡くなってしまった場合、人は『あいまいな別れ』に直面してしまう。しかし、オンラインとのハイブリッドでお別れする機会を持てたことで、あらゆる友人が気持ちの整理ができたように思う。デジタル献花も行ったことで、ひとつの区切りがついたと感じる」と、友人との別れの際に経験したことについて所感を述べ、今後は「プライベートなメタバースが必要だと感じている」と語りました。

平野さんはその話を受け、『本心』という小説のもうひとつのテーマである「自由死」に言及。オランダやスイスの安楽死制度について触れながら、「安楽死が合法化されている国では、最期のときに親族を集めてお別れの会をする。そして、家族に見守ってもらいながら亡くなっていく。現在の私たちには、あまりにも突然、死が訪れる。『人が自分の死を決めていいのか』という大きな問題はあるものの、誰ともお別れができず、見守ってもらえずに死ぬという状況を考えると、たとえ寿命が1年縮まったとしても、死のタイミングをコントロールして家族のもとで死にたいという人もいるのではないか」と、考えを共有しました。そして、「メタバースは物理的な距離を埋め、死を社会に再共有する工夫になるかもしれない」と、藤井教授の話を受けて感じたことを述べました。

平野さんのそのような言葉を受け、藤井教授はさらに「テクノロジーは死に目への立ち会いを可能にすることができる。それが今は悪いことのように捉えられているが、やはり立ち会えたほうが良いのではないかと感じる」と話します。



すると、平野さんも「最期は身近な人に見守られながら、自分が一番好きな自分で死んでいきたいという考え方もあるのではないか。また、ライブ配信でもいいから、家族や親しい人の死に目に立ち会いたいというニーズもあるように思う」と、藤井教授の考えに賛同。「最も現実的な、避けられず、コントロールもできない死というものに対して、藤井教授の話を聞いて従来とは異なるアプローチの仕方があると気づいた」と話し、さらに死後の存在の仕方についても言及しました。

平野さんは、インターネットによって死後の存在のあり方が変わっていくと考えており、「自分の言葉が死後もボット的にネット上に流れていれば、まるでその人が存在しているかのように存在感を持つ」「死の“余韻の持たせ方”が、デジタル技術によって変わってきているように思う」と、テクノロジーがもたらす死の経験の変化について語りました。

なぜ、バーチャルな存在に物足りなさを感じるのか?

そして、テクノロジーを活用すればバーチャルな存在として死後も残ることができることを踏まえ、改めて「何が人の現実的な存在感を生み出しているのか」という点に話題が移りました。

平野さんは『本心』の主人公がバーチャルな母親に満足できなくなってくるというストーリーに触れながら、「AIは学習の産物で、未来を学習できない。そこが人間と違う部分だ。人間は経年で変化し、現実に対して反応する中で変わっていく。関係の持続という観点からみると、バーチャルな存在は物足らなさが出てくるのだと思う」と考えを述べました。

また、平野さんは続けて「相手が自立していて、自分にとってどこか意外な存在でないと、現実感がないのかもしれない。自分に対してあまりに都合の良いことばかりを言っていると、その自立性を信用できず、愛着がわかなくなってくる」と考察。人や生き物の現実の存在感を構成するものについて、考えを深めました。

生成AIが台頭する世界で、小説家は何を描くべきか?

レクチャーシリーズの終盤は、「生成AIと小説家」というテーマで対話が重ねられました。藤井教授は、平野さんに「生成AIが無尽蔵に日常の“隙間”を埋めていき、圧倒的なスピードでコンテンツを生み出していく。そのような世界の中で物語を書くということについて、どう考えているか?」と尋ねました。

平野さんは「生成AIが良い物語を書けるようになったとき、自分の書いた書籍が読まれる時間は減っていくと思っている」と話しながらも、生成AIの限界を考えると、作家の未来について過度に悲観はしていないと語ります。

「人間が書いている作品を読みたいという読者はいるはず。また、文学は言語化できないものを言語化していく営みであり、それは学習の産物であるAIにはできないことだ。現代を生きる中で、まだ言語化されていない苦しい思いを言語化していく。小説家はそういう本来の姿に立ち戻るように思う」と、AIが台頭する世界における小説家のあり方について考えを述べました。

平野さんにとっての「現実」とは?

最後に、平野さんにとっての現実の定義をお伺いしました。

平野さんは、「私を私たらしめる他者である」と現実を定義。自分の思い通りにはならないけれども、その世界の中で私を私たらしめていると思える他者との関係性の中から現実が立ち上がってくるという、これまでの議論を踏まえた定義をお伺いし、本日のレクチャーが盛会のうちに幕を閉じました。