現実科学レクチャーシリーズ

Vol.39 山中俊治先生レクチャー(2023/9/22開催)

デジタルハリウッド大学と現実科学ラボがお届けする「現実科学 レクチャーシリーズ」。

「現実を科学し、ゆたかにする」をテーマに、デジタルハリウッド大学大学院 藤井直敬卓越教授がホストになって各界有識者をお招きし、お話を伺うレクチャー+ディスカッションのトークイベントです。

Twitterのハッシュタグは「#現実とは」です。ぜひ、みなさんにとっての「現実」もシェアしてください。

概要

  • 開催日時:2023年9月22日(金)19:30~21:00
  • 参加費用:無料
  • 参加方法: Peatixページより、参加登録ください。お申込み後、Zoomの視聴用リンクをお送りいたします。
    視聴専用のセミナーになりますので、お客様のカメラとマイクはオフのまま、お気軽にご参加いただけます。

ご注意事項

  • 当日の内容によって、最大30分延長する可能性がございます。(ご都合の良い時間に入退出いただけます。)
  • 内容は予期なく変更となる可能性がございます。
  • ウェビナーの内容は録画させていただきます。

プログラム(90分)

  • はじめに
  • 現実科学とは:藤井直敬
  • ゲストトーク:山中俊治
  • 対談:山中俊治氏× 藤井直敬
  • Q&A

登壇者

山中俊治

デザインエンジニア/東京大学特別教授 1957年生まれ。東京大学工学部卒業後、日産自動車のカーデザイナーを経て1991-94年東京大学特任准教授。1994年にリーディング・エッジ・デザインを設立。デザイナーとして腕時計から家電、家具、鉄道車両に至る幅広い製品をデザインする一方、科学者と共同でロボットや3Dプリンタ製アスリート用義足など先進的なプロトタイプを開発してきた。Suicaをはじめ日本全国のICカード改札機の共通UIをデザインしたことでも知られる。2008年より慶應義塾大学教授、2013年東京大学教授。2023年には東京大学特別教授の称号を授与された。ニューヨーク近代美術館永久所蔵品選定、グッドデザイン賞金賞、毎日デザイン賞、iF、Red Dotなど受賞多数。

https://www.shunjiyamanaka.com/

藤井 直敬

株式会社ハコスコ 取締役 CTO
医学博士/XRコンソーシアム代表理事
ブレインテックコンソーシアム代表理事
東北大学医学部特任教授
デジタルハリウッド大学 大学院卓越教授
MIT研究員、理化学研究所脳科学総合研究センター チームリーダーを経て、2014年株式会社ハコスコ創業。主要研究テーマは、現実科学、適応知性、社会的脳機能の解明。

共催

現実科学ラボ
REPORT

※本稿では、当日のトークの一部を再構成してお届けします。

「現実とは何か?」という問題意識

藤井 毎回、繰り返しになるんですけれども、「現実とは何か?」という僕の問題意識について簡単に説明を差し上げたいと思います。

まず、僕らが生きている世界ですね。普通に教育を受けて普通に暮らしていると、見えているものとか感じているものっていうのはそのまま目の前にあって、それは万人に共通だと思うわけです。目の前にあるこのスマートフォンは誰がみてもスマートフォンで、それを疑うことはない。つまり、見たり感じたりしているものはすべて存在していて、現実と金型のオスとメスのようにぴったりと合わさっていて、そこにズレはありません。

一方、無意識にいろんなものを受け取って、脳が空想とか幻覚とか呼ばれるものを作ってしまって、それが目の前の現実に混ざってくることがあります。例えば、子供の頃のキャンプで、自然に囲まれちゃったりすると、あらゆる感覚が押し寄せてくるわけですよね。科学的な世界観の中で暮らしていると、こっちはある意味、否定しないと、社会がうまく回らないことがあります。

ところが、最近は面白いことに、現実の外側に、現実と区別がつかない人工的な現実というものができあがってきています。こういうものも、私たちが現実として認知するものになりつつあって、どこからどこまでが本物で、どこからどこまでが人の作ったものかというのは、わからなくなってきているんですね。

でもこういう世界観って、実はすごいチャンスだと僕は思っていて。テクノロジーを使うことによって、ほぼ無から豊かさを作れるんじゃないかという希望を抱いています。

実は、僕が現実科学をやり始めたのは、山中先生がきっかけでした。今日も話題に出ますが、山中先生に「エイリアンヘッド」というヘッドセットを作っていただいて、それで現実を疑うようになったんです。なので、今日はお招きできて本当に嬉しく思っております、というところで、山中先生にお渡しします。

スケッチのリアリティと現実的なデザイン

山中 「スケッチのリアリティと現実的なデザイン」というテーマでお話ししてみるのが、議論のとっかかりになるかなと思って、用意しました。実際に、スケッチと実現したプロダクトをパラパラと見ていただいて、何がリアルで、現実的なデザインとはどういうことか、みたいなお話ができればと思います。

いちばん非現実的なものを最初にお出しします。これは10年ほど前に、講談社のムック本で宇宙機をデザインする、という連載をいただいて、その最後に描いた漫画です。

僕は学生の頃、漫画ばかり描いていて、機械工学も好きで。それで、現実世界の機械を扱う機械工学と、妄想の世界を妄想のままリアルに伝える漫画の接点になるような仕事はないんだろうか?と思っていました。どうやら、プロダクトデザインという仕事は両方活かせるらしい、と聞いて、デザイナーになりました。

これは20代の頃、日産自動車のカーデザイナーとして描いた車の絵です。実際には、こういう車になります。似たモチーフともいえますが、結構違いますね。

スケッチ
プロダクト

イッセイミヤケの腕時計です。だいぶマチュアになっていますね。この辺りはリアルな物ができる前に描いた絵なんですけど、ほぼスケッチの通りにできています。

スケッチ
プロダクト

SR(代替現実)ヘッドセット、通称「エイリアンヘッド」

山中 これは、「このデザインでいこう」と決めた瞬間に藤井先生の目の前で描いたスケッチだと思います。それまでにもいくつかデザイン案を出していたんですが、藤井先生いわく、「もっと悪魔的なものを」と言われるので。

藤井 『スターウォーズ』でいうところの、連邦側じゃなくてもうちょっと帝国よりで、強そうなのがいいって言ったんですよね。そうしたら、いきなりこれを描き始められたので。こんな瞬間的に出てくるんだと思って、びっくりしました。

山中 それで、作ったものがこれですね。カメラと、いわゆるVRゴーグルなんですけれども。実際に外が見られるのですが、外を見ていたらいつの間にか過去の映像や存在しない映像と差し替えられていて、現実に何が起こったのかわけがわからなくなる、という体験ができるものです。

カメラ付きのVRゴーグルは、今では普通に売られていますが、当時はまだそれがなくて。別々にあるものを一体化させると、やたらと重くなってしまう。でも、映像を見るだけではなく、自分で見渡すというのがとても大事なので、頭を動かせるものであって欲しいという要求に、どう応えようかと。

そこで、重心位置が頭の真ん中であれば振るのに苦労しないので、後ろ側に回路基盤や電源を置いて、前側に必要なものを残して、バランスを取るという装置を考えました。それが結果的に前後に長いものになって、「エイリアンヘッド」と呼ばれるようになるわけですけれど。

この右上にある小さなスケッチが意外と重要で。つまり、どこに何を配置するのかという想定が、なんとなく描かれているんですね。そういうことが、僕にとっては「現実的」ということになりますので、そのあたりをもう少していねいにお話ししたいと思います。

知っていると思うものほど、うまく描けない

山中 最近では、学生にスケッチを教える機会が増えていて、その時によく話すのが、「我々は“わかっている”とか“知っている”と思うものほど、上手く描けない傾向にある」ということです。ぜんぜん見たことがないものは、ていねいに観察して描くからそれっぽくなるんだけれども、手を描いてごらん、人を描いてごらん、というと、知っているからかえって上手くいかない。

その原因として考えられるのは、目です。自分の目だと、遠くの景色も近くの人の顔もすごくきれいに見えるのに、カメラで撮るとどちらかしかちゃんと撮れない、ということがよくあると思います。我々の目というのは、瞬間的に明度やピントを調整していて、見ている先々で最適化するので、両方見えている気がするんですよね。

見た瞬間のそこだけしかピントが合っていないのかもしれないけど、それは意識しない。そういうことが、絵を絵として描く時に、意外とじゃまをしている部分だったりします。

脳はシンプルに記憶する

山中 もうひとつ。脳というのは、ものごとを非常にシンプルに解釈して、シンプルに記憶するものだということです。たとえば、我々は輪郭線をスケッチで描くわけですけれど、実際の物には輪郭線なんてものは存在しないんですね。

理解する場合も、形がわかった、と思うと、物を見ない傾向にある。なので、実は違う物を見ているのに、ひとつの物として認識している。例えば、人の顔はぜんぶ違うのに、新しい顔を見ても顔だ、と思うわけですよね。このある種のパターン化、抽象化された認識というのは、我々の高度な技能なんですけど、絵を描こうとすると、誰の顔も描けない。「顔のパターンってこうだったよね」しか覚えていない、というようなことが起こります。

この高度な目の調整機能と、脳の画像処理能力が絵を描くことをじゃましていて、脳内にリアルな図像というものは実はほとんど記憶されていない。にもかかわらず、実際の物を見ると、「リアルだ」と思う。“リアルに対する感度”が我々の脳の中に存在している。そんなことを、絵を描きながら認識することはよくあります。

何も見ないで“ニワトリ”の絵を描いてみると?

山中 「何も見ないで、ニワトリを描いてみてください」と学生によくお題を出します。もし手もとにメモ帳があれば、皆さんも描いてみてください。

たいていの人はどう描くかというと、「ニワトリってくちばしがあるよね、頭あるよね、目があるよね。こんなのがついてて、トサカっていうらしい。首あったよね。なんか胴体ついてた気がする。羽、脚もあった。ああ、尻尾もあったかも。」という感じです。

これは間違っていない。ただ、言葉で覚えていることを組み立てたものです。まあ、名前をつけるというのがわりと重要なことで、名前をつけないと覚えないんです。

“構造”からニワトリを描く

山中 だけど、僕はちょっと違う描き方をします。

ニワトリって、歩きながら前後に頭を激しく振りますね。あれはバランスをとっているわけではなくて、ニワトリは全体視野を持っているので、その視野が動かないように、空中に頭を固定しようとする性質がある。移動するときは、できる限り頭を固定しておいて、体だけを前にもっていく。で、頭が後ろの方にきちゃった、というときにあわてて前へ出す。こういう動きがニワトリの歩き方です。

これを実現しているのが、首の骨。S字カーブを描いているから、頭が自由に前後に動く。その首の前方に頭蓋骨がのっていて、これにくちばしや目やトサカがついていますが、基本的にはこういう構造の生き物です。

それから、肋骨が存在して、胴体を形成しています。羽は我々と同じで、肩甲骨、上腕、肘が存在して、腕があって、手首から骨が後ろに向かってのびている。脚の方は、股関節が存在していて、巨大なもも肉がありますよね。胴体に隠されるように膝があって、かかとがあって、つま先立ちで立っている。

“構造”や“ファンクション”から生じるリアリティ

山中 これが、構造、あるいはファンクションから描く、ということです。もし皆さんが、最初のニワトリより、後に描いたニワトリをリアルだと感じるとすると、それは皆さん自身が、構造なりファンクションなりを理解する能力があって、それができているものに対して、リアルだと感じるということなんです。

デザイナー的にいうと、順序が逆になるんですけれど。何か新しいものを作りたいと思った時に、構造なりファンクションなりが入った絵を描かないと、実現しない。現実的なプロダクトをデザインするということは、プロダクトの構造なり、ファンクションなり、使い道なりがすでに想定されていて、それを整合性のある形にすることなので、骨格から描くのは非常に重要です。そういう順序で描いていって、実際の物になっていく、という順序で組み立てるのが、現実的なデザインですね。

そのあたりが、スケッチと実際の物の間をしょっちゅう行き来している僕にとっての、リアリティとは何か?現実とは何か?という考察になります。

スケッチがデザインを伝えるために

藤井 ありがとうございます。ライブで描いていただけて、本当に嬉しいですね。構造、中から描いていく。この納得の仕方っていうのは、言われてみると、そうだなと思います。

今回、「リアリティ」「現実」というお題をお出ししましたが、先生は普段からそこのところを意識してデザインされているのですか?

山中 スケッチがちゃんとそのデザインを伝えるためには、何がおさえられていなくてはいけないのか、というのは、ずっと意識しています。きちんと設計して、CG化すれば、リアルな写真みたいなものができるんですけれど。その前の段階、すごくラフな構想の段階でも、自分にも人にもリアルだと伝わるために何をすればいいのか、というのは、絵を描くときによく考えていますね。

スケッチと、実際に設計したものが実現するかというのは、ちょっと違うことなんですけど。コストや安全性など、色々なファクターが交わってくるので。でも、構造をちゃんとトリガーにしていない絵空事は実現しないなとは感じていて。そういう意味で、僕にとっての妄想と現実をつなぐトリガーは構造ですね。

自分独自のリアリティの作り方

藤井 先生のところでたくさんの学生さんが過ごされて、デザインの世界に入られていくと思うんですけど、彼ら彼女らは、そこで自分独自のリアリティの作り方というものを獲得するんですか?

山中 そう思います。この授業をやった瞬間に絵は上手になりますけど、それで食っていくわけではないので。リアリティの持ち方というのは、いろいろなやり方をしますよね。

藤井 先生の場合は、構造から入っていくということだと思うんですけれど、こんな作り方があるんだって驚いたことはありますか?

山中 例えば、3Dプリンターありきで物作りを始めた子たちは、とにかく適当に図面作って、3Dプリンターで立体にして動かしてみて、という、ラフスケッチを3Dプリンターでやっちゃうか?という人も結構います。

ライターになった教え子で、本当に言語だけで徹底的に社会との関わりを追求していたな、という人もいました。

理にかなった構造の美しさ

藤井 山中先生がデザインをされる時や、今日のお話の中でも、“美しい”という言葉が出てこないように思うんですけれど、それは大前提ということでしょうか?

山中 “美しい”を言葉で説明できないから、というのもあるんですけれど。大前提ですし、美しさ自体は大事にしています。

先ほどのニワトリの絵のリアリティにも少し関係がありますが、やはり構造が理にかなって描かれていることは、ひとつの美につながっているとは確実に思っています。しっかりした構造だとか、しなやかさだとか、美を語るときに使われるいろんな言葉の根源は、ファンクショナルな合理性のことだなと思う瞬間は多いです。

それを、一般的には機能美と呼ぶのだと思います。ただ、文化的な美の話をするときには、必ずしも機能美ではなくなっていきます。配色とか、模様みたいなものって、機能美だろうかと考えると、よくわからなくなってくるんですね。自然界には機能美しか存在しないとは思うんですけれど。我々はいろんな文化の中でそれを引用して快楽を広めているので、そのことが問題を複雑にしています。

でも、我々の美的直感そのものは、機能的整合性や、構造の確実さを直感する能力だろうなという風には思います。

美術品と工業製品の違い

藤井 いわゆる美術品と、先生が作るもの、工業デザインや工業製品に、根本的に違うところはあるのでしょうか。

山中 そういう意味では、美術品というのはより深く“美”を探求するので。まあ、現代美術はいきすぎて、嫌な思いをさせても心理的に触れれば成功、みたいな部分がありますけれど。クラシックな美術は、そういう意味ではまだ美的快感の範囲にはいますが、それでもある程度は先鋭化しているので、わかる人にしかわからん、みたいな世界でもあります。

それにくらべると、プロダクトは比較的、大衆化するところの範囲でとどめているんじゃないでしょうか。

複雑系の科学がもたらしたデザインの変化

藤井 受講生の方から、質問をいただいています。「素朴な疑問で、現代のデザインは流線形や流体が多くなっているのは自然の機能美に近くなっているということなのでしょうか?」と。いかがでしょうか?

山中 複雑系の科学が、それを支えていることは間違いないと思います。ニュートン力学ベースの物作りは、直線と円をベースに組み立てないと、複雑すぎて手に負えなくなっていた、という実態がありました。

そういう時代と比べると、現在はとても複雑なシミュレーションも可能ですし、複雑系の科学が、自分の脳では思いつかないぐらい複雑なものをジェネレートしてくれるという状況にもなっているので。そのあたりが、今の流線型や流体と相性が良いのは間違いありません。複雑系の科学がもたらした、自然のある種の仕組みへの理解の仕方は、新しい美意識のヒントになっていると思います。

また、それが設計可能にもなりました。従来から、自然の形状を引用したデザインをする人はルネ・ラリックをはじめたくさんいましたが、それがきちんと機能美と整合できるようになったのは、最近だと思います。

山中先生にとっての「#現実とは」

藤井 最後に、スピーカーの皆さんにお伺いしています。山中先生にとっての現実とは何ですか?

山中 僕にとっての現実とは、「自分の妄想を、触れるものや体験するモードにして、他人と共有できる遊び場」ですね。それ以上でも、以下でもないです。

藤井 ああ、すごい。なんだか、山中先生の仕事から生き様から、全部が入っている。いいなあ。すごくいい人生を歩んでいらっしゃるなと思いました。ありがとうございます。

(テキスト:ヨシムラマリ)