現実科学レクチャーシリーズ

Vol.67 渡邊淳司さんレクチャー(2026/1/23開催)

2026年1月23日、「現実科学レクチャー Vol.67」が開催されました。本ページでは、当日のレクチャーの様子をレポートとしてお届けします。

REPORT

※本稿では、当日のトークの一部を再構成してお届けします。

身体から環世界、そしてウェルビーイングへ

藤井 本日はNTT株式会社 コミュニケーション科学基礎研究所の渡邊淳司さんをお招きしています。今日は普段であれば聞けないようなことを色々お話しいただけると思いますので、楽しみにしています。

渡邊 よろしくお願いします。今回は現実というお題をいただいた中で、初めに自己紹介といいますか、私がこれまでやってきたことをよく現しているなぁと思った本を3冊ご紹介します。

左の『情報を生み出す触覚の知性』では、身体性がどのように記号につながるのかというテーマを取り上げました。真ん中の『情報環世界』では、物理的な環境以外に人工的なものが増えている中での、人とコンピューター、あるいは人と人の境界について、伊藤亜紗さんやドミニク・チェンさん、緒方壽人さん、塚田有那さんをはじめとする方々と一緒に考えました。そして右が『ウェルビーイングのつくりかた』です。最近ではバズワードにもなりつつあるウェルビーイング、そのつくり方という本になります。

(以下、画像は渡邊氏のプレゼンテーションより)

それぞれのテーマについて、自分自身の20年を振り返りながら少しお話ししたいと思います。

目が動いた瞬間にだけ見えるディスプレイ

渡邊 私はもともと、視覚の研究をしていました。2005年に提出した博士論文は「視覚情報提示のための時空間統合知覚特性の研究」というタイトルでした。どういうことかと言いますと、1本のLEDが素早く動いて2次元の像を出す装置がありますね。それとは逆に、止まって点滅している棒の前で目をヒュッと速く横に動かすと、網膜上で広がって一瞬ですが2次元の像が見えます。そうした現象を利用したディスプレイの研究です。

これは目を右に動かす場合と左に動かす場合で像が反転したり、隣にいる人でも目の動きが違うと全く違うものが見えたりします。普段、私たちは「皆、同じ現実を生きている」という共同幻想の中にいますが、このディスプレイを前にすると、皆が違うことを言い出すんですね。

少し専門的な話をすると、目をヒュッと跳躍的に動かす運動をサッカードと言います。視野角で10度ヒュッと動くと、網膜には10度分の像が描かれます。ただ、見えるのはなぜか5度分くらいの縮んだ像なんです。

日常生活で、我々の目はものすごくたくさん動いていて、普通に考えると網膜上では、カメラの手ぶれ状態が頻繁に起こっているはずです。しかし、普段はそれを意識することはなく、世界は止まっているように見えている。この時、おそらく、目の動きに関連する知覚処理として、動きの知覚も半分程度に抑えられている、だから見える長さも半分なのではないか、ということを博士論文の中では書きました。

存在しないはずのリアリティ

渡邊 網膜に映る像ですら見えている知覚と乖離があるのだから、現実は、当然、物理世界とは違うはずだ、と思うようになりました。そして研究の焦点は、だんだん視覚から触覚へと移ります。視覚には2つの点がポンポンと光ると、その間を何かが動いた気がする「仮現運動」という現象がありますが、その触覚版を身体の前後でつくりました。

2人のユーザーが、お腹側と背中側に振動子のついたベルトを装着して公衆電話で話します。この装置では、声を送るのではなく、ボタンを押すと相手に振動が送られます。この時、お腹と背中の振動子をある時間差で震わせると、お腹を何かが通過したような「貫通感覚」が生じます。この感覚は物理的には絶対に体験しえない感覚です。でも主観的にはなぜかリアルに感じる。

2つの振動の時間差にも最適値があって、短すぎたり、長すぎたりしても、貫通した感覚は生じません。2点の刺激に対する関連付けのようなものが人の中には存在していて、体の中を通るという絶対にありえない感覚もリアルに感じてしまう。

身体は自分にとって最も身近な他人

渡邊 もう一つ、自分の体は本当に自分が動かしているんだっけ?と再認識する体験があります。「前庭電気刺激」といって、耳の後ろに弱い電流を流すと揺れを感じて、まっすぐ歩いているつもりでもふらふらっとずれてしまう、という現象があります。

そこで、水の上に小さい人形を浮かべて、それが揺れると自分が揺れる「SaveYourSelf!!!」という体験型の作品を、安藤英由樹さん、吉田智史さんとつくりました。

面白いのが、皆が揺れに抗うだけじゃなくて、割と身を委ねたりするんです。環境との関わりの中で体の動きが生まれていることを感じるといいますか。結局、見ているものも感じているものも自分の行動も、全て物理世界のルールどおりでもないし、自分は自分の体全てを動かせるわけでもない。最も身近な他人として身体は存在しているように感じます。

その感覚を感じたもう一つのプロジェクトが、同じく安藤さんや、ダンサーの川口ゆいさん、コミュニティ研究者の坂倉杏介さんとご一緒した「心臓ピクニック」のワークショップです。これは心臓の鼓動を手の上で感じるというもので、自分が生きていることを実感したり、それを人と交換したりします。生まれてからずっと動いている心臓、でもそれを意識的に制御することは難しい。意識から見たら、身体や無意識は最も身近な他人なんだと思いますし、そことどう付き合っていくかを考え直したり、感じ直したりすることが大事なんだと思います。

閉じた世界の共有とオノマトペの可能性

渡邊 また、「環世界」という言葉がありますが、人でも昆虫でも、それぞれの世界に閉じているという話があります。じゃあ、閉じた世界は全く共有できないのかと考えた時に、日本語にはオノマトペがたくさんあります。

感覚の話に限定しますが、オノマトペを通して人が持つ記号的な世界と身体的な世界を結びつけられないかと考えました。例えば触覚で、「かさかさ」と「がさがさ」。日本人だと音だけでも違いが分かるといいますか、濁音の「がさがさ」の方が粗くて乾いた感じがすると思います。これまでの研究で、オノマトペを聞いた時にどういう感覚を受けるかを評価して、触覚のオノマトペの空間配置をつくりました。

例えば、軟らかい、湿っている、滑る、のような感覚がどのような関係にあるのか、日本語話者が持っている触覚世界が現れてきます。なぜこういうことが起きるのかと考えてみると、やっぱり音の響きが関係しています。「さらさら」と「ざらざら」で、声帯や歯茎で響き方が違うんですね。大きく震えるとより粗いものに感じるとか、身体と記号を結びつける可能性があるのではと思います。

ウェルビーイングの広がり

渡邊 もう一つ考えているのは、コミュニケーションについてです。会話が成立していても話が通じているとは限らない。何かを正しく伝えるとは一体どういうことなのだろう、と。

こちらは私があるスポーツを見ながら、向かいにいる目の見えない方に伝えているところです。実はこれ、テニスのラリーを伝えているんですね。二人の間の段ボール板をテニスコートに見立てて、ボールが落ちたところを手で叩いて伝えている。テニスという競技を、そのまま言葉で伝えるのではなく、身体を通してその本質だと思うものを別の動きとして伝えています。伊藤亜紗さんと一緒に行ったプロジェクトで、このような伝え方を「身体的翻訳」と呼んでいます。

なので、正しく伝えるというより、現実を共につくっていく感覚に近いかもしれません。正しい、正しくない以前に、お互いの存在自体を感じ合う、認め合う。そういうところから考えるためのテクノロジーだと思いますし、すべてのウェルビーイングの始まりもここからなのではないかと思います。

ウェルビーイングについて、私は「よく生きるあり方」と言っています。そして、それは個人個人で違う。どこか外にゴールがあってそれを目指すという考え方ではなく、ある行為に対するウェルビーイング、「ウェルビーイングに〇〇する」と考えた方が捉えやすいのではないかと思います。例えば、ウェルビーイングに遊ぶとか、ウェルビーイングに寝るとか、ウェルビーイングにトイレに行く、とかですね。

また、ウェルビーイングの対象は「I」(自分)、「WE」(身近な人々)、「SOCIETY」(社会)、「UNIVERSE」(自然・世界)と広がりがあります。なので、状態を向上させると考えるよりも、コミュニケーションや関わりの中からうまくウェルビーイングが生じてくることが望ましいのでは、という話をしています。

カードによる共同認識とコミュニケーション

渡邊 そのためのツールとして、ウェルビーイングの要因の書かれた「わたしたちのウェルビーイングカード」というものがあります。これを使って、自分にとって大事なことを一つ選んで周りの人と話すと、何もないところで話すよりもより広い視点で話ができる、ということがあります。

このように、感覚という個人に閉じたものから、だんだん広がってコミュニケーション、そして教育と少しずつ流れていった、というお話でした。

藤井 ありがとうございます。面白いですね。僕が教えているデジタルハリウッド大学の学生さんで、病気のためにずっと痛みを抱えている人がいて。何が一番困るかって、痛みって人に伝えられないんですね。医者や家族にも理解してもらえない、コミュニケーションが成立しないことに絶望するんですって。

それで、オノマトペとカードで伝えるっていう全く同じことを彼女はしていて。それを使うと痛みが通じるから、すごく救われた感じになるんですって。オノマトペって、そういう力を持っているんですね。

渡邊 おっしゃる通りです。オノマトペの起源については色々な説がありますが、僕は悲鳴の延長線上にあるのではないかと思っています。驚いて思わず出てくるような言葉にだんだんバリエーションが出て、記号としての役割が生まれてきたのではないかと。

藤井 「ギャー」みたいなのも言葉の始まり、と。

渡邊 言葉の始まりは、一人としての「ギャー」だけじゃなくて、隣の人も「ギャー」って言うと、ああこれは「ギャー」なんだという共通認識が生まれる。その共同認識を生む作業がカードの指差しの時もあるし、音の場合もあるし、ということではないかと思います。

ウェルビーイングに共感は必要か?

藤井 僕はすごく共感力が低い人間で、人と人はお互いに上手く自分の気持ちを伝えられるんだ、という世の中の認識がすごく気持ち悪いんです。

渡邊 僕は、基本的に共感できない前提で、ウェルビーイングを考えないといけないと思っています。極論ですが、協働行為ができれば、共感する必要はないと思います。

藤井 ないですよね?

渡邊 行為という単位で周りと上手くできていればいい。頭の中で何を考えていても、相手がシュートを打ちやすいところに、ボールを出してあげればいいだけなので。だから、他者と行動調整できることがやっぱり大事で、その上で共感できるならすればいいし、しない人はしなければいい。もうスキルだと言ってしまった方がいいかと思うんですよね。

藤井 スキルだからトレーニングできるということですよね。

セルフを一定の範囲まで広げる

藤井 先ほど自分は最も身近な他人というお話がありましたが、そもそも自分というものはあるのかな?と思うんですね。

渡邊 やっぱり、無意識が自分に伝えようとしている違和感ってすごく大事な感覚だと思います。具体的には何か分からないけれど、身体が何かを伝えようとしている意思、そこを意識の側でどう解釈するか。二人羽織みたいな状況なので、片方が「やばいぞ」って言った時には止まるべきだと思いますし。

藤井 そう考えると、他人も自分の延長という言い方もありなんでしょうか?

渡邊 共同研究をしている京都大学の出口康夫先生は「セルフ・アズ・ウィー(Self-as-We)」と概念を提唱しています。セルフを一定の範囲まで広げて考える。例えば仲間や同僚が何か賞をもらいましたっていう時に、自分が嬉しいと思うか、羨ましいと思うかって、すごくセルフ・アズ・ウィーの範囲が分かる体験なんですよ。

藤井 そうか、羨ましい時は他人なんだ。

渡邊 だと思います。僕も以前は「セルフ・アズ・アイ」みたいな、すごく狭い状態だったんですけど、周りの方々に気にかけてもらってるって実感してきたことで、なんとなく相手のことも素直に喜べるようになっていった、というところがあって。

藤井 今の渡邊さんは何に対しても妬まないんですか?

渡邊 最近、ウェルビーイングカードを学校の先生方が使ってくださっている様子を見て、昔の自分なら「俺がそれ作った」とか言っちゃいそうなんですよ。今は、絶対表に出たくないですね。先生たちには自分のものだと思って欲しいんです。

藤井 なるほどね。僕もデジタルハリウッド大学で教え始めた頃にリサーチはやめちゃってるし、もうプレイヤーではないんだよね。でも学生たちが頑張って何かを達成したらそれは自分の喜びみたいな、教育の喜びに気がついたのは本当に嬉しかった。

分かるようで分からないウェルビーイング

藤井 やっぱりウェルビーイングって何かよく分からなくて。人によって全然違うことを言うじゃないですか。

渡邊 理想のウェルビーイングを目指して皆で頑張ろうぜというタイプの方もいらっしゃいますし、ウェルビーイングは測れないとダメだよねという方もいらっしゃいます。一方で、コミュニティーとして考えれば個人個人のあり方をお互いどう理解するかだという、先ほどのカードのような視点もあります。

同じ言葉でも違う使い方をされているので、それは分からないですよねって私も思います。企業の中でも、総務人事が使うウェルビーイングは働き方改革ですし、新規事業開発が使うのはサービス開発ですし、経営企画は非財務的価値を上げます、なので。

藤井 分からないけど、皆が使っているから。なんでしょう、「より良く生きようね」だけなら混乱しないですよ。それじゃダメなんですか?だって主観じゃないですか、ウェルビーイングって。

渡邊 やっぱり施策の話になると、主観と客観の両方を指標にしないといけなくて。環境も見なければならないので。

藤井 そうか、施策に落とし込むなら何か定義しないとダメか。

状態ではなくプロセスとして考えてみる

渡邊 その人がよいって言っていても、体を壊してしまったり人に迷惑をかけたりすることまで含んでいるとそれは違うよね、という話にもなります。一見、個人個人の話に思えるんですけど、実は関係性とか、その範囲の中に考えなければならないことがたくさんある。なので、僕は状態の話というよりも、プロセスに注目した方が考えやすいと思っています。

藤井 それってもう、あらゆるエリアが対象じゃないですか。そんなことできるんですか?

渡邊 実は、今、ウェルビーイングの国際標準があるんです。ISO25554:2024と言います。それを見ると、ウェルビーイング自体は定義しません、って書いてある。

藤井 ええ?そうなんですか?

渡邊 プロセス標準なんですね。ウェルビーイングが実現されるであろうプロセスをちゃんと踏むことをまずはやっていきましょう、という標準です。

藤井 ウェルビーイングが状態だとしたら、逆にウェルビーイングじゃない状態っていうのは何なんですか?

渡邊 イルビーイング(ill-being)、という言葉があるにはあります。でもウェルビーイングの真反対がイルビーイングですかって言われるとちょっと違う。状態だとすると、境界があってここからはウェル、ここからはイルという話になってしまうんですけれど。やっぱり人によって、ウェルビーイングを状態的に捉えるか、プロセス的に捉えるかの立ち位置が微妙に違うというのがあります。

僕は、あまり縛らないのが大事かと思います。やっぱり、世の中の測り方って今の状態で何点、という世界観はあるんです。周囲の人と上手く一緒にやっていくという視点で考えると瞬間瞬間でとらえても上手くいかないことが多くて。自分が上がっている時に相手が下がっていたらそれを上げていくような、全体としてのダイナミックな移り変わり自体を捉えていく方がいいんじゃないかなって、今お話しをしていて再認識しました。

ウェルビーイングネイティブがやってくる?

藤井 宗教みたいにこの通りに生きなさいって言ってくれたら楽だけど、自分で考えないといけない。なんだか、ウェルビーイングって賢い人の考え方という感じがします。

渡邊 それを教育の中でどう取り入れていくかを考えていて。今みたいにウェルビーイングってなんだろう、とやるとコストが高いし時間もかかる。なので普段の、例えば国語の授業でこの主人公は何をウェルビーイングだと思って行動しているのかカードで考えてみよう、みたいな。すでに学ぶべき題目があるところに重ねていくと先生方も比較的取り組みやすいのかなと思っています。

藤井 もう教育の中にはウェルビーイングが普通に混ぜられているんですか?

渡邊 例えば、文部科学省の「第4期 教育振興基本計画」の中にはウェルビーイングが大きく入っています。ただやっぱり理念と実践にはまだ距離があるんですね。その間をつなぐものがまだそんなに多くないので、カードを使ったりしたいと、お声がけいただいたりしています。

藤井 じゃあ、これからはそういう教育を受けた子がやってくると。

渡邊 ウェルビーイングネイティブがやってきますね。

藤井 やばいな、僕らは人生のほとんどをイルビーイングで暮らしてきた人たちだから。

主体性を自分に取り戻す

藤井 それにしても、ウェルビーイングが当たり前の人たちがこの狂った世界の理不尽をどう受け入れるんだろう。だって海賊みたいなやつらばっかりじゃない、世の中。

渡邊 痛い思いもしながら相手との関わり合い方を学ぶ、みたいなことはあるのかなと思います。

藤井 僕はもちろん人はウェルビーイングであって欲しいけれども、とはいえそれ以前に世界の構造を理解していないと無理だと思っているから。世界の構造を理解して、それから自分に向かうことでウェルビーイングは実現できるというか。世界を作っているのは自分だという認識がなかったら、結局周りに流されちゃったり、人に押し出されたりするので、世界をコントロールしているのは自分だという主体性を自分に取り戻すことが大事だと思います。

渡邊 そういう意味で言うと、僕はちょっとだけ流され派なんですよね。

藤井 なんとなく分かる(笑)。でも、これ以上は流されないっていうのはあるでしょう。

渡邊 はい、ここで踏ん張っておけばちょうど流れの分岐になるな、とか。あえてそこで立ち止まって、自分にとってちょうどいい渦がつくれるみたいなこととか。流されてはいるんだけれども、どこかの地点に自分の気持ちよさがある。大事なのは身体性ですね、やっぱり。

渡邊さんにとっての「#現実とは」

藤井 最後に、渡邊さんにとっての現実とは何でしょうか?

渡邊 現実とは、世界の響きや流れの中に自分という石を置いた時に現れる渦のようなものだと思います。それがあることで安心したり希望を持てたり楽しくなったり、そういうことがあるとよいのかなと。

藤井 さすが、流されている人は違いますね。自分の周りに渦ができて、それが現実ってことですね。

渡邊 ざわざわざわっていう一瞬の渦の出方が、最初にお話しした目が動いた時だけ現れる現実みたいな感じです。

藤井 そことつながっているんですね。なんだか、伏線回収した感じです。その石もまた動くんですよね。

渡邊 そうですね、自分がここに置こうかなって見えている石なので。ちょっと狙って置いているところはあります。

藤井 周りを油断させておいて、え?そこへ置くの?みたいな。そういうしたたかなところがありますよね、渡邊さんって。

(テキスト:ヨシムラマリ)

登壇者

渡邊 淳司

NTT株式会社コミュニケーション科学基礎研究所 人間情報研究部 上席特別研究員

人間の触覚コミュニケーション、情報伝送に関する研究を人間情報科学の視点から行う。触覚や身体感覚を通じて、自身の在り方を実感し、人と人との共感や信頼を醸成することで、様々な人のウェルビーイングが実現される方法論について探究している。美術館や科学館での表現・体験領域の設計や、ウェルビーイングの教育分野にも関わり、ウェルビーイング・コンピテンシーの育成について取り組んでいる。

WELL-BEING TECHNOLOGY 展示会 実行委員長。

藤井 直敬

株式会社ハコスコ 取締役 CTO
医学博士/XRコンソーシアム代表理事
ブレインテックコンソーシアム代表理事
東北大学医学部特任教授
デジタルハリウッド大学 大学院卓越教授
MIT研究員、理化学研究所脳科学総合研究センター チームリーダーを経て、2014年株式会社ハコスコ創業。主要研究テーマは、現実科学、適応知性、社会的脳機能の解明

主催

現実科学ラボ