現実科学レクチャーシリーズ

Vol.43 小林秀章さんレクチャー(2024/1/31開催)

デジタルハリウッド大学と現実科学ラボがお届けする「現実科学 レクチャーシリーズ」。

「現実を科学し、ゆたかにする」をテーマに、デジタルハリウッド大学大学院 藤井直敬卓越教授がホストになって各界有識者をお招きし、お話を伺うレクチャー+ディスカッションのトークイベントです。

X(旧Twitter)のハッシュタグは「#現実とは」です。ぜひ、みなさんにとっての「現実」もシェアしてください。

概要

  • 開催日時:2024年1月31日(水)19:30~21:00
  • 参加費用:無料
  • 参加方法: Peatixページより、参加登録ください。お申込み後、Zoomの視聴用リンクをお送りいたします。
    視聴専用のセミナーになりますので、お客様のカメラとマイクはオフのまま、お気軽にご参加いただけます。

ご注意事項

  • 当日の内容によって、最大30分延長する可能性がございます。(ご都合の良い時間に入退出いただけます。)
  • 内容は予期なく変更となる可能性がございます。
  • ウェビナーの内容は録画させていただきます。

プログラム(90分)

  • はじめに
  • 現実科学とは:藤井直敬
  • ゲストトーク:小林秀章
  • 対談:小林秀章氏 × 藤井直敬
  • Q&A

登壇者

小林秀章

セーラー服おじさん。小林秀章。60歳。
ラーメン屋の企画に乗っかったのがきっかけで2011年より
セーラー服を着て出歩くようになる。
目撃情報がネットで拡散し、ネットニュースやテレビで
取り上げられ、イベントや映像に出演するようになる。
早稲田大学理工学部数学科卒、同修士課程修了。
本業は会社勤め。情報処理関係のソフトウェアエンジニア。

藤井 直敬

株式会社ハコスコ 取締役 CTO
医学博士/XRコンソーシアム代表理事
ブレインテックコンソーシアム代表理事
東北大学医学部特任教授
デジタルハリウッド大学 大学院卓越教授
MIT研究員、理化学研究所脳科学総合研究センター チームリーダーを経て、2014年株式会社ハコスコ創業。主要研究テーマは、現実科学、適応知性、社会的脳機能の解明。

共催

現実科学ラボ
REPORT

本稿では、当日のトークの一部を再構成してお届けします。

 

現実科学が目指すもの

藤井 はじめに、いつものように現実科学とは何か、という話をしたいと思います。僕はもともと神経科学をやっていて、科学的な世界観で生きていたんですね。見えているものはすべての人に共通の現実であるというのが科学的な世界観、基底現実です。

一方で、天井の木の節を目だと感じたり、森の中を歩いていたら変な生き物が見えたりね。そういう脳が無意識に作り出す色々なものが、現実の中に混ざり込んでいる。それが、本来の僕らの脳の状態だと思うんです。これは、画一的ではない、それぞれの人で異なる豊かな世界です。

最近はそこに、人工的な現実が染み出してきて、だんだん区別がつかなくなってきている。この無意識と意識の間、そして人工現実と基底現実の境界が非常に曖昧になっているのがすごくおもしろいところで。この境界部から本当にたくさんのクリエイティビティが生まれてくる。それによって私たちの生活をより豊かにできるというのが、僕は希望だと思っていて、現実科学が目指すものでもあります。

そのためには、現実を定義することが非常に大事なので。今日は小林秀章さんに、ご自身の興味の中心であるAIと意識、その辺りのお話をいただいて、現実とはなんだ?っていうところに向けた議論ができれば良いなと思います。

セーラー服は「ラーメン1杯無料」がきっかけ

小林 よろしくお願いします。私、浪人時代に駿台予備校の市谷校舎に通っておりまして、藤井先生はそこの後輩であることが判明いたしました。で、大学では数学を専攻して、卒業後は印刷会社に勤めて、35年ほどになります。画像処理やAIなどをやってきて、自分では情報処理系のエンジニアであると認識しております。

なんでセーラー服を着ているかってことなんですけれども。2011年6月に鶴見のラーメン屋さんで、「30歳以上でセーラー服を着て来店したらラーメン1杯タダ」という企画をやっているところがありまして、そこにこの姿で食べに行ったのが最初です。

当時は相当ドキドキしたんですが、意外と大丈夫だということがわかって。それ以降はスーパーとか居酒屋とか、日常行くところは全部これで行ってみようという感じで、ずっとやっていて、もう13年になります。

不思議で不思議で不思議でしょうがない「意識」の話

小林 それで、関心のド真ん中には「意識の謎」というのがありまして。脳といっても、物質であることに違いはなくて、物質なら物理法則に厳密に従うはずで、機械のようにしか動作しえないはずなのに、なんでそんな物質に意識が宿りうるんだ?って。これが根源的な問いで、不思議で不思議で、不思議でしょうがないと、取り憑かれちゃったような状態になっています。

ただ、私は何かの専門家や研究者ではないので、こういうことを色々勉強しました、という一般論的な話をしたいと思います。普段「意識って不思議だよね」って言っても、ピンと反応してくれる人は1割もいなくて。「なるほどなあ、不思議だなあ」って分かっていただけたら、もう9割がた満足です、という感じですね。

AIに意識は宿るのか?2022年の議論

小林 AIと意識ということで、2年前に結構話題になったことがあります。当時Googleに雇われていたエンジニアのブレイク・ルモインが、LaMDAというAIと会話をしていて、「どうもこいつ意識が宿ったんじゃないか」と思って、上層部に訴えたけれども一笑に付されてしまった。友達に相談したりしているうちに、それは守秘義務違反だろうということで停職処分になり、結局クビになった。もうそうなるなら、ということで、新聞のインタビューに答えたり、会話のスクリプトをほぼ全文公開したりしていましたね。

LaMDAの騒動をうけて、ライバルであるOpenAIのChatGPTは人間のフリをしないように徹底的に教育されてますけれども、本当にどうだかは誰にもわからないということで。

他にも、GoogleからOpenAIに移ったイリア・スツケヴァーという大天才がTwitterで「今日の巨大ニューラルネットワークには、わずかながら意識が宿ったかもしれない」と突然つぶやいて、大いに物議をかもしたりしました。

そもそも「意識」とは?

小林 それで、意識ってそもそも何だ?という話から入りたいと思います。一言でいうんだったら、意識は「主観的体験」ですね。起きている時とか、あるいは寝ている時でも夢を見ているときはある、アレだよね、と。全身麻酔がかかっている時や、死んでいる時はなくなっちゃう、アレです。

で、ものが見えているときは「見えている」という感じがするので、それを「視覚クオリア」といいます。これが、意識の現れ方の実例です。これと比べると、自動運転車ってカメラから映像が入ってきて、標識やセンターラインは認識しているんだけれども、車自身が「見えている」って感覚はきっと持ってないと思うんですね。その場合は、視覚クオリアがないので、意識がない、といいます。クオリアは、聴覚や触覚でもありますし、「私を見ているもう一人の私」みたいな「俺感」をクオリアだ、という人もいます。

だけど、意識って何ですか?と科学の言葉で定義しようとすると、まだできていないんじゃないか、と私は思います。例えば、「水」をちゃんと定義しようと思ったら「H2O」って言わなきゃいけないんだけど、それは水の正体が解明されて初めてH2Oだった、って分かるので。定義と解明が一緒に進んでいくような、そんな感じなので、意識もきっとそうだろうなと思っています。

他人の意識は直接観察できない

小林 意識の大事な性質に、「第一人称性」あるいは「私秘性」というのがあります。意識があるかないか分かっているのは、それを宿している本人だけなんですよね。なので、例えば2人が同じ郵便ポストを見て、赤いよねって言葉では合意できる。でも、「実は俺が赤いという言葉で呼んでいるのはこんな色なんだよ」って見せてあげて、「えっ!俺の色は違うよ」って、並べてみることはできないんですね。

そういうわけで、意識って人に直接見せられない。あるいは、他人の意識を直接観察する手段がないんです。知能だと、ベンチマークテストのような形で、こんな難しい問題を解けたから知能高いねって言えるけど、意識はこの問題に回答できたから意識あるよねっていう風にはならなくて、あくまでも内部の状態だということです。LaMDAにあったとか、これも本当にわからないんです。

ハード・プロブレムとイージー・プロブレム

小林 意識のハード・プロブレムというのは、イージー・プロブレムとの対比になっています。要するに、「脳のここが発火している時はこれを考えてるぞ」っていうのは、パターンのデータをとっていけば分かってくるんですね。だけど、それはイージー・プロブレムで、そこがいくら進んだとしても、結局どういうメカニズムで意識が湧いてくるのか?という、その質問には全く答えていないことになります。そこがハード・プロブレムだという風に、定義しているわけです。

これはもう、考え始めると本当にものすごく深い問題で、のっぴきならない根源的な問いで。共感してくれる人は多くないんですけど、あれ、これ不思議だよね?って気がついちゃうと、四六時中そればっかり考えるようになっちゃって。なんだか、土台のしっかりしない家に住んでいるような、落ち着かない感じになりますね。

意識の謎に向き合うさまざまな立場

小林 次に、意識の謎と向き合う様々な立場を、私の勝手な分類ですけれど、10種類ぐらい紹介しておきたいと思います。

(1)意識の消去主義 意識は錯覚である。あるというのは本人の思い込みで、そんなものはないんだと。そうすると、謎そのものが消えちゃいますね。

(2)意識のハード・プロブレムの消去主義 意識は錯覚ではなく、あるにはあるんだけど、科学で取り扱えないし、思っているだけなんだから、問う価値ないよね、という。デネットや、ロヴェッリがそんなことを言っているようです。

(3)意識の古典物理還元主義 意識って確かに精神とか心なんだけど、それはニューロンがこう発火したらこう思うんだよっていう風に、結局は古典物理に還元されて説明がつくんじゃないか、と。虹も不思議だけど、解明されたらそれは普通に光の現象だねって分かって、なんだそんなことかってなるように、物理で説明できちゃった、以上終わり、ってなるだろうと。ニュートン力学や、電磁気学で説明できるという立場。

(4)意識の現代物理・未解明物理還元主義 物理には還元できるんだけど、やっぱり難しい物理を使わないと説明つかないだろう、という立場の人もいます。特に量子力学とかですね。ただ、量子論はスピリチュアル系の方が好んで持ち出すので、その辺りと紛らわしいことになっています。

(5)主観―客観架橋主義 これもちょっと系統が違うかもしれませんが、主観世界と客観世界は概念的に違う、と。「物理世界からどうして意識、心が生まれるんですか?」って問い自体が、両方にまたがっているので、そこに橋をかけないと解決しないだろうと。今の物理学は客観しか取り扱ってないので、科学の問題だろうと思ったら、主観も取り扱えるような科学を作らないといけない。

(6)心身二元論 二元論でギリギリ物理法則とも共存できているのは、意識は実は何もしていない、一方通行で、見ているだけだよっていう考え方ですね。これも、あり得るにはあり得ます。

(7)精神一元論、唯心論 この世界で最も根源的なのは心の方で、周りにものがあるかないかなんて、本当は分からないんだよっていう考え方もできます。これは、仏教の教えに近いです。

(8)心の計算主義 結局、脳活動なんだから、それって計算してるだけなんじゃないの?と。だから、何もかも計算に還元できるんじゃない?その基盤がタンパク質だろうと、シリコンであろうと、全く同じ計算をしたら、まったく同じように意識があったと思うしかないんじゃないの?ということですね。

(9)不可知論 これは難しすぎて、永久に分からない。解けない問題なんで。っていう立場もあるにはあります。

(10)その他 あとは、適当なことを言っている素人とか。下手すると私もその部類なんですけど、まあ他にもあるかもしれないですね、という風にちょっと分類してみました。

小林さんが支持しているのは?

小林 私はどう考えているかというと、正解が知りたいだけなので。これもいいかな、あれもいいかなとフラフラしているんですけど、ただハード・プロブレムは不思議で不思議でしょうがないから、そんな問いはないよって消されるのは支持できないですね。

あと、心に実体を与える二元論、精神の方の一元論は、ちょっとこれで問いが解けたって説明になっていないような気がするので、あまり支持していないです。不可知論もね、私は答えが知りたい、科学で解明されるべき問題だと思っているので、これもない。

となると、残ったのは物理に還元できる、という立場。やさしい物理か、あるいは難しい物理か。あとはやっぱり、主観と客観を架橋する新しい理論が必要かもねとか、結局計算なんじゃないの?というあたりも結構支持しているので。この辺が、私の好みに合っているような考え方です。

ここからはほぼ私の妄想ワールドですが、ハード・プロブレムに関してはあと300年かかると思っています。これは解けないという意味ではなくて、不思議で不思議でしょうがない、この問いの難しさを舐めちゃダメだと。科学自体が拡張しなきゃならないと。そこまでやるなら、やっぱり300年かかる気がしています。

AIに関しては、やはり解明されてから解明されたことに従って作るものだと思っていて、AIがどんどん賢くなったら勝手に意識が宿っていた、みたいなことには懐疑的です。ただ、意識を宿したフリが上手いAIは、もう本当に数年のうちにできちゃうだろうなと思っています。

意識に機能はあるのか?

小林 最後に、意識を必要とするタスクはあるのか?ということですね。要するに、意識に機能はあるのか、と。いろんなことを考慮して、ああでもない、こうでもないと熟考してバランスを取りながら決めるような、いわゆる「遅い思考」は意識がないとできないんじゃないの?という人もいます。

まあ、生物はそうかもしれないけど、遅い思考も計算に還元できたとしたら、意識なしに実行できてしまう。じゃあ、意識がないと絶対にできないタスクってなんだろう?と考えても、思いつかないんですね。

それで思いついたのは、「生きてて楽しいからなんじゃないの?」ぐらいしかなくて。目のある生物はきっとみんな視覚クオリアはあるだろうと、なんでかって言ったら、その方が楽しいからって。そんなことを勝手に思っています。

今回、意識のハード・プロブレムという非常に根源的で深い謎、気になりだすと沼にハマる謎についてお話ししました。今日聞いた皆さんも沼にハマってくれるといいな、というようなことを思っています。以上です。

無意識の問題

藤井 ありがとうございます。僕、意識研究者ってだいたい会っていて。あえて意地悪にいうと、意識研究者ってみんな自分のことがすごく好きなんだよね。自分が好きって途切れないから、そこから問いが始まってるんじゃないかと考えると、面白いなと思ってるんだけど。

小林 確かに、内側に目が向いているというのはそうだと思うんです。だって、意識していないと、本当に「俺は世界をありのままに正しく認識してるぞ」と思い込んでいるので。例えば、野球選手がフライを取るときに「でもあのボールは実在するんだろうか」とか考え出したらエラーしますよね。その考えている私をもう一人の私が見て考える、そういうループした思考を持っている人たちなので。

藤井 意識研究の人って、無意識の話を全然しないんだよね。僕はそれが何かバイアスがかかっているように思っていて。

小林 そうですね。無意識の表面のちょっと出ているのが意識、みたいな感じがありますね。巨大な無意識が裏で働いてますよね?

藤井 意識全般みたいなことを言うと、もう境界がないし。でも意識って呼んでいるものの前と後って、なんだかあまりきちんと議論されていない。

小林 そう言われてみると、無意識って本当に定義しづらくて。「意識がない」ことじゃないしな、っていうのはありますね。

観測方法の進化によって解明が進む可能性

藤井 あと、今までできていなくて、これから多分できることで、リアルタイムの人の脳内からの侵襲的な情報の抽出、がありますね。イーロン・マスクが最初の患者にインプラントしたって言ってますから。

小林 侵襲型だと、それなりに精度よく読み出せるんですよね。猿が『ポン』っていうゲームを、脳で右いけ左いけって指示してラケットをテレパシーで動かして、みたいなことはできているみたいですね。

藤井 オンオフなんかは、細胞を30個くらいトラックできれば、ほぼ100%予測できると思うので。脳内の信号を安定して長期間記録できるようなことが今後出てくると、意識につながるような新しい説明を提供してくれるかもしれないですよね。

小林 そこはチャーマーズに言わせればイージー・プロブレムの範疇なので、どんどん進んじゃうと思いますね。

藤井 実はハード・プロブレムって言っているのも、計算で済むかもしれない。脳内からのリアルタイムに記録のボリュームが一定以上になると、これ以上の情報を取らなくても分かるっていうものになる可能性がある。なぜなら、意識の帯域ってすごく狭い可能性があるので。

小林 ああ、そうでしょうね。

藤井 意識ってナローバンドなので。遅いしね、処理が。だとしたら多分、本当に数十ビットの情報処理で、僕らの意識現象って説明がつくかもしれない。

小林さんにとっての「#現実とは」

藤井 最後に、小林さんにとっての「現実とは」を一言でお願いします。

小林 はい、私にとっての現実とはプラトンのイデア界です。今までそんな話してなかったじゃないって思うかもしれませんけど。紙の上に鉛筆で定規を使って、ピッと直線を引いても、それは炭素の粉が分布しているだけで、本当の直線じゃないんですね。そうしたら、本当の直線はどこにあるんだ?っていった時に、それはもうイデア界にある、としか言いようがない。

藤井 ありがとうございます。イデア界を持ってこられたらずるいよね。だって、どうしたって証明のしようがないからね。

小林 こっちの世界だったら、両側に無限に伸びる直線なんて引けない。宇宙の終わりがどこかに来てしまう。でも、宇宙があろうとなかろうと、円周率のπはπだろうと思うので。

藤井 概念上のものでしかないから。

小林 でも、その概念を持っている私たちという主体がいなくても、πはπだろうと思っているので。

藤井 うん、うん、そうだね。それはイデア界にあるということですか?

小林 なので、そっちこそ実体なんじゃないかと思いました。

(テキスト:ヨシムラマリ)