現実科学レクチャーシリーズ

Vol.10 :斎藤環先生レクチャー(2021/3/22開催)

現実科学ラボでは、各分野で活躍している専門家とともに「現実とは?」について考えていくレクチャーシリーズを2020年6月より毎月開催しています。

第10回となる今回は、2021年3月22日、筑波大学教授・精神科医の斎藤環さんをお迎えしました。本記事では、当日の簡単なレポートをお届けします。

https://reality-science010.peatix.com/?lang=ja

現実科学とは

現実科学ラボ・レクチャーシリーズは、デジタルハリウッド大学さまの提供でお届けしています。

 

斎藤環さん

1961年、岩手県生まれ。精神科医。 筑波大学医学研究科博士課程修了。爽風会佐々木病院等を経て、 筑波大学医学医療系社会精神保健学教授。専門は思春期・ 青年期の精神病理学、「ひきこもり」の治療・ 支援ならびに啓蒙活動。著書に『社会的ひきこもり』、『 中高年ひきこもり』、『世界が土曜の夜の夢なら』(角川財団学芸賞)、『オープンダイアローグとは何か』、『「 社会的うつ病」の治し方』ほか多数

 

コロナ時計への同期と時間感覚の喪失

「震災は時間を分断したが、新型コロナウィルスは時間を均質化した」と斎藤さんは語ります。COVID-19の発生以降、人々の興味と感心がコロナの動向を中心にシンクロすることで、全世界が「コロナ時計」とでも言えるような時間の流れに同期することになりました。


斎藤さんはこの「コロナ時計」に関する個人の感覚として、時系列に関する記憶が曖昧になってしまうことを述べました。COVID-19以前の記憶との距離感を掴めないだけでなく、様々な記憶が遥か遠くに感じられ、さらにはCOVID-19以降の時系列も正確に掴むことが難しい。

こうした時間感覚の混乱の原因として斎藤さんは、感染者数、死亡者数、ロックダウンなどの有用緊急の情報が溢れたことで、無駄な、無意味な、非生産的な「不要不急」が失われたことを指摘しました。

私たちのリアルは、活動(何かをすること)機会の多様性が生み出す複数の「時間線」に支えられています。無数の時間線が埋め込まれているフィクション(映画や漫画や小説など)を鑑賞すること、ペットを飼い、植物を栽培し、趣味に打ち込むこと、そしてそれらについて「おしゃべり」をすること。そうした内向きの不要不急の充実が、私たちの時間感覚、そして現実感覚にとって必要なのではないでしょうか。

人は人と出会うべきなのか

斎藤さんは2020年5月に、本章と同題の記事を公開しており、非常に大きな反響を呼びました。

ここでは、対面することの価値や是非について

  • 対面は暴力である
  • 対面は欲望である
  • 対面は関係である

という三つの観点から考察がなされました。

対面は暴力である

ここでいう暴力とは、「他者に対する力の行使」のこと。斎藤さんは社会の至る所に暴力があると言います。

例えば人と人とが出会うこと。会ってしまえばその後は楽しいのに、会うまでが憂鬱な気持ちになるのは、出会うことの暴力性が持つ一端かもしれません。また、人と人とが集まると、そこには抑圧を生み出す「場」や「空気」といった暴力が発生します。この意味では、誰かに対する優しさも、時として暴力になり得るかもしれません。

こうした観点から考えると、対面が生み出す臨場性は暴力の一種であると考えられます。臨場性という暴力には、人々の関係と欲望を賦活し、多様な意思を取りまとめ、決断と行動のプロセスを一気に前に進める力があります。いわば「話が早い」のです。しかし、そうした「暴力」や「効率」に苦痛を感じる人が一定数いることを自覚することが重要だと斎藤さんは指摘します。人類の歴史上、最も対面の機械が剥奪された今は、対面に対するスタンスの多様性を考え直す絶好の機会なのかもしれません。

対面は欲望である

先に、臨場性には人々の欲望を賦活する力があると書きました。斎藤さんはこれについて、「引きこもっている人たちは欲望が極めて希薄である」と説明を付け加えます。コロナ禍のステイホームが続く中で多くの人が訴えている無気力状態も、これと同様の症状なのかもしれません。

斎藤さんは、「欲望はその人の内面を掘り返して出てくるものではなく、他者や社会からもらうものである」と語ります。欲望を回復するために、他者と会い、交流し、社会と接点を持つことがますます重要になってくると考えられます。

対面は関係である

最後に、関係の観点から対面の考察がなされました。斎藤さんは自説として「対話と関係性が成立するためには、非対称性が必須である」と言います。そしてその非対称性は、リアルな身体を持ち寄ることが最も容易で効果的なのです。このような身体的差異の効果は、当然お互いの身体を知覚することのできる対面によって最大化されます。こうした意味で、関係の構築には臨場性が不可欠なのです。

Open Dialogue

Open Dialogue(開かれた対話)とは、フィンランドで1980年代から実践されている統合失調症のケア技法・システム・思想のことです。危機にあるクライアントの自宅に治療チームが赴き、危機が解消するまで毎日会い続けます。入院治療と薬物療法を可能な限り行うことなく、治療のプロセスにクライアントや家族を巻き込み、臨床家たちは個人ではなくチームで働くのが特徴です。

Open Dialogueで「してはいけないこと」とされているのは、説得、議論、尋問、アドバイスなのだそうです。これはつまり、相手の主観(リアル)を尊重し、自分の主観(リアル)と交換するということ。斎藤さんは「対話というのは、リアリティを上書きできる方法」だと語り、講演を締めくくりました。

Open Dialogueに関する関連文献

まんが やってみたくなるオープンダイアローグ https://www.amazon.co.jp/dp/4260046772/ref=cm_sw_r_tw_dp_W39472CME7J0TPXP9GA4

オープンダイアローグとは何か
https://www.amazon.co.jp/dp/4260024035/ref=cm_sw_r_tw_dp_CEPHN87WYW7SVT6783EW

斎藤環さんにとって、現実とは

触れられないもの