デジタルハリウッド大学と現実科学ラボがお届けする「現実科学 レクチャーシリーズ」。
「現実を科学し、ゆたかにする」をテーマに、デジタルハリウッド大学大学院 藤井直敬卓越教授がホストになって各界有識者をお招きし、お話を伺うレクチャー+ディスカッションのトークイベントです。
X(旧Twitter)のハッシュタグは「#現実とは」です。ぜひ、みなさんにとっての「現実」もシェアしてください。
概要
- 開催日時:2025年2月21日(金)19:30~21:00
- 参加費用:無料
- 参加方法: Peatixページより、参加登録ください。お申込み後、Zoomの視聴用リンクをお送りいたします。
視聴専用のセミナーになりますので、お客様のカメラとマイクはオフのまま、お気軽にご参加いただけます。
ご注意事項
- 当日の内容によって、最大30分延長する可能性がございます。(ご都合の良い時間に入退出いただけます。)
- 内容は予期なく変更となる可能性がございます。
- ウェビナーの内容は録画させていただきます。
プログラム(90分)
- はじめに
- 現実科学とは:藤井直敬
- ゲストトーク:柳澤田実氏
- 対談:柳澤田実氏 × 藤井直敬
- Q&A
登壇者

柳澤田実
1973年ニューヨーク生まれ。専門は哲学・キリスト教思想。博士(学術)。関西学院大学神学部准教授。東京大学21世紀COE研究員、南山大学人文学部准教授を経て、現職。宗教などの文化的背景とマインドセットとの関係について、何かを神聖視する心理に注目しながら研究している。

藤井 直敬
株式会社ハコスコ 取締役 CTO
医学博士/XRコンソーシアム代表理事
ブレインテックコンソーシアム代表理事
東北大学医学部特任教授
デジタルハリウッド大学 大学院卓越教授
MIT研究員、理化学研究所脳科学総合研究センター チームリーダーを経て、2014年株式会社ハコスコ創業。主要研究テーマは、現実科学、適応知性、社会的脳機能の解明。
共催

※本稿では、当日のトークの一部を再構成してお届けします。
哲学思想から宗教、そして心理学へ
藤井 本日は柳澤田実先生をお招きしてお送りします。今回お話ししたいのは、僕らがナイーブな生き物として持っている「神話的世界観」についてです。これは、生物としての私たちが本質的に持っている世界の感じ方だと思っています。よろしくお願いします。
柳澤 よろしくお願いいたします。私はもともと、キリスト教思想を研究してきました。4世紀とか5世紀とかずいぶん古い頃の、キリスト教が本当に小さなカルトのようなものだったのがローマ帝国に広まっていった、その過程に関心を持っていたのが今の研究にもつながっています。
2010年前後から、宗教や信仰を心理学や認知科学、あるいは脳神経科学を用いて研究する動向がアメリカを中心に活発になっていて、ずっとその手法を学びたいと思っていました。そこで2017年に半年間、The New School of Social Researchの心理学研究室に留学をして、心理学の手法も取り入れた研究を始めた、という経緯があります。

「CEDEC 2024」で推し活の話をしたのが随分と広がってしまったんですけれど、もともとは宗教の研究をしていて、現代の諸現象にも興味を持っていたので、いわゆる伝統的な宗教が衰退して、その代わりになるものがたくさん出てきていることに気づきました。そのひとつが推し活ではないかと、そのように認識しております。
宗教が人間の進化にもたらす意味
柳澤 先ほど2010年前後から様々な科学者が宗教に関心を持ち始めたというお話しをしましたが、その背景を少しご説明します。20世紀の後半、世界は完全に世俗化するだろうという感じで進んでいました。ところが、皆様ご存知の通り、21世紀が明けた瞬間に起きたのはアメリカ同時多発テロでした。
これが本当にアメリカ人にものすごい打撃を与えて。科学技術や合理性、市場経済によって完全に世俗化するという予想は完全に覆されてしまいました。21世紀に入ってこれだけ宗教の存在感が増しているということで宗教研究を始めた科学者たちも多くいて、当時は「ポスト世俗化の時代」とも言われました。
最初に出てきたのは、宗教に対してどちらかというと否定的な論調でした。それが2010年頃から、もう少し人間の進化の過程に宗教がどのような意味を持っていたのか?という形で宗教を積極的に位置付けようという動きが出てきました。人類学者のジョセフ・ヘンリックのように、宗教は共同体を大きくするために寄与してきたんだという論調が主流になりまして、現在もこの路線で進んでいると言って良いかと思います。
相対主義だけで人は幸福になれない
柳澤 その中で私が特に注目しているのが「聖なる価値」(sacred values)というものです。市場経済が全面化した現代社会に、伝統的な宗教に代わるものとして、推し活も含めて様々なものが興隆してきている理由にこれがあるのではないかと。

お金さえあれば何でも手に入る。思いやりとか、ケアとか、そういうもの全てに値段がつく。そのような社会に私たちは生きている。そうすると、何でも交換可能になってしまって、価値観として何でもありの相対主義が時代の基調になっている。すごく素朴に言うと、自分の価値や生きている意義を見出しづらくなっていて、それだけだと楽しくない、というのが私たちの実感としてあるんじゃないかと思います。
20世紀の前半に社会学者のウェーバーはそれを「意味喪失」と言ったわけですが、どうも相対主義だけでは人間は幸福になれないことが露呈してきた。絶対的なもの、かけがえのないもの、そういうものが神聖なものだと思うんですけれど、それが無くなってしまった。
その結果、個々人が神聖視する対象をもって、その対象に没入する小さな宗教が乱立しているのが現在、2020年代ではないかと思っています。推し活もそうですし、極端な意見を持つインフルエンサーも出てきて、現実の政治を動かすまでになっている。政治も宗教もファンダム化しているし、私が最近研究している宗教右派というのも決してマージナルな存在ではなく、政治的に力を持つようになってきている。そういう時代を私たちは生きています。
お金に還元できない価値
柳澤 聖なる価値のひとつの特徴は、経済的な価値、お金に還元できないということです。例えば、私たちは景品でもらったペンを転売したり、誰かにあげたりすることには抵抗ありません。でも、そのペンは自分の大切な人が記念にという形でくれたものだったとしたらどうでしょう。売ってしまうことに心の痛みを感じるのではないでしょうか。実はこうした日常のささいなところでも、私たちは特別な、少し大げさな言い方をすれば神聖で、お金に代えられない価値を色々と作り出しています。

大切なペンのように個人的な事例もあれば、国家やイデオロギー、人種、領土など、特定の集団によって聖なる価値が付与されたり共有されたりしていることもあります。また、イスラエルとパレスチナの間でも本当に大変なことがずっと続いていますが、和解し難い政治的な対立や衝突をも引き起こします。少し前までは、生命とか家族とか愛とか、人類が概ね共有する神聖なものがあったと思うんですが、最近ではこれも怪しくなってきているというのも考えさせられるところです。
また聖なる価値の研究者の中でも、特に実際の紛争を対象に研究している人たちが主張しているのは、お金にならないという形で神聖視しているものに対して金銭的な取引を申し出ると、自分の神聖なものが侵されたと考えて、人はものすごく激しいバックラッシュを起こすと。これを繰り返しているから、なかなか紛争や領土の対立が解決しないということを言っています。
命を投げ出すことも厭わない献身
柳澤 聖なる価値のもうひとつの特徴は、行為主体に献身(devotion)をさせる、というところです。献身的な行為者というのは、グループや大義のために多大な犠牲を厭わない人々を指します。ここでいう犠牲とは、命を落とすことや、さらには他者の命を奪うことさえも厭わない真の犠牲を意味します。
こう言うとすごく恐ろしい感じがしますけれど、その全てが悪人というわけではなく。例えばガンジーやキング牧師、ネルソン・マンデラとその信望者たちも献身的な行為者と分類することができます。彼らは自分の民や大義のために命を投げ出すことを厭わなかったし、成功した運動には献身的な行為者が存在しています。

日本で言えば、三島由紀夫も聖なる価値に言及していたなと思いまして。彼は自分のためだけに生きて、自分のためだけに死ぬほど人間は強くないということ言っていて、明確に大義を求めていました。それで、45歳で自決して社会に大きな衝撃を与えました。三島を称賛したいわけではなくて、ただ同時に大義無き日本社会での生きづらさは三島が当時指摘した通りですし、ずっとそれが続いている。献身するに値する神聖な価値や意味の必要性は、変わらずにあるのではないかと思います。
聖なる価値を判断する脳の部位がある
柳澤 スコット・アトランという人類学者を中心に、脳神経科学者も協力して行われた研究もあります。本当に自爆テロも厭わない、ジハーディストといわれる人たちの脳を、色んな価値判断をさせながらfMRIでスキャンするという、すごい研究だなと思うんですけれど。
それによると、人間が功利に基づいて計算する際に活性化する脳の部位と、計算じゃなくて聖なる価値のために直感的に判断する際に活性化する脳の部位が全然違うということが明らかになっています。つまり、そうした脳の部位があるということは、計算による判断と同じくらい、聖なる価値による判断は自然な心の働きなんだろうと。
ですので、アトランたちはどんな人にも聖なる価値は必要だし、若者には特に必要なんだと言っています。それが推し活の話にもまたつながってくるわけですが、今の社会には多くの人が共有できる神聖な価値が無くなっているので、日本も含めた先進国では個々人が神聖な価値を追求する時代になっているなと思います。
神聖さへの感受性が高い日本人
柳澤 私自身の研究では、ジョナサン・ハイトというよく知られている心理学者の道徳基盤調査という手法を用いて、日本のクリスチャンの様々なクラスターを比較しています。人間が道徳的判断をする際には、CFLASという5つのチャンネル、柱のようなものがあるという立場に立っています。
一つ目はCare(ケア)、人の痛みに対しての判断。二つ目がFairness(公正)。三つ目はLoyalty(忠誠心)、自分が所属している集団に対する忠誠心。四つ目がAuthority(権威)で上下関係の権威。最後がSanctity(神聖)で、これが神聖基盤になります。

図の一番右、保守を自認している人たちを見ると、だいたい平均的なところできれいにそろいます。ところがリベラルになると、CareとFairnessが突出して高くなる。そして、この左側が日本人のクリスチャンなんですけれども、日本人のクリスチャンも全体としてはリベラルなんです。でも、必ず神聖基盤が高くなる。
それはクリスチャンだからでしょう、と思われるかもしれませんが、そうではなく日本人だと全体的に神聖基盤が高くなる傾向があります。この日本人は全体的に神聖さへの感受性が高いというのも面白いことだなと思っておりまして。日本での推し活の興隆にも関係しているのではないかという気もします。
聖なるものとの関わりから現実を作り出す
柳澤 世界的に見ても、神聖な価値を求める人たちの動きが現実を動かしているなと思います。アメリカではトランプ氏が再選されましたが、彼の強力な支持基盤の一つがキリスト教の右派、福音派の人たちです。福音派というのは、キリスト教の中でも保守的な立場の人たちである、とご理解いただければと思います。
それで、最近私が訳した『リアル・メイキング』という本がありまして。認知人類学者のターニャ・ラーマンによって書かれたもので、私自身とも考え方が近いなと思っているので、少しご紹介します。この中で、ラーマンは神聖なものとの関わりの中で、いかに人がリアル・メイキング、つまり現実を作り出していくかということを分析しています。
多くの人が持つイメージと異なるのは、宗教を信じている人たちも実は信じきれていないということ。神や霊などの目に見えない何かをリアルに感じるためには努力をしなければいけなくて、そのための色んな特別な思考とか予期とか、記憶の仕方、解釈の仕方を学ばなくてはならない。分かりやすくいうと、信仰とは真面目なごっこ遊びである、ということです。

考えは変わるが関係は変えられない
柳澤 あとパラソーシャルという、会ったことのない相手と親密な関係を築くということ。社会学でもいわれる概念なのでご存じの方も多いと思いますが、1950年代にテレビが定着するにつれ視聴者がテレビに登場する人たちと、自分の家族や友人などの身近な人々以上に親密な関係を築くようになりました。今の私たちの社会では、ほとんどの人がこのパラソーシャルな関係を生きている状態だと思います。
目に見えない他者、神や霊をリアルに感じるようになると、その他者とすごく情緒的でパーソナルな関係を結ぶようになる。そして、この社会的な関係こそがリアル・メイキングの核心だとラーマンは言っています。
ここは私もとても共感した分析なんですが、関係が一旦できてしまうと、なかなか変えられない。実は考えや信念というのは、結構変えられるんですね。でも作り上げられてしまった関係は変えられない。目に見えない相手との関係も変えられないから、それが社会的な分断の原因にもなるし、ラーマンは正直なところそれを解決するのは非常に難しいだろうと結論しています。
神は中間領域で経験される
柳澤 先ほど信仰とは真面目なごっこ遊びであると言いましたが、発達心理学者のウィニコットによると、遊びは心と世界の中間領域で生じます。中間領域というのは、願っても変わらない外的な現実と、希望や恐怖といった内的・感情的な現実との間に存在します。神はそこの中間領域で経験されるもので、基本的に「世界とは良いものだという感情的なコミットメントだ」と言うんですね。
実際には存在しないにも関わらず、世界は良いものであると信じる。これが信仰だと。感情的にはリアルなものなんだと。まさに、現代の多くの人たちが現実の拠り所にしているのはこういうところなんじゃないかなと考えています。

現実を否定された時に人は現実を作り始める
柳澤 さらに、コミットメントの問題で言いますと、なぜ今、一部のトランプ支持者のように、多くの人たちが極端なリアル・メイキングに没入しているのか?という点ではないかと思います。
フェスティンガーの古い研究ではあるんですけれども、予言が外れた時こそ、人々は熱心に信じ始めるという指摘があります。現実ではないことが前提で、人は自分が信じることを一層信じるし、そういう認知の不協和を解消するために人は努力するんだと。私はこの認知的不協和の理論がキリスト教の右派の人たちや、陰謀論にも当てはまると思います。それ以外にも、SNSなどによって対立する意見に触れることで、私たちは自分が信じていることは現実ではないかもしれないという不安に常時さらされています。フィルターバブルだけではなく、この意見の対立に常時晒される状態も問題で、常に認知的不協和を抱え、それを解決するためにより強くコミットメントするということが起きているように見えます。
トランプ大統領やイーロン・マスクのように、この心理的な傾向を利用して極端なことを言って、サポーターに認知的不協和を抱え込ませて、一層自分の側にコミットさせるという、そういうインフルエンサーも増大しています。あちこちで、皆さんがリアル・メイキングしているような状態です。

そこでの課題として、間違っていると指摘したり、説得したりしようとするのは逆効果だというのは、多くの研究者が強調しているところです。認知的不協和を増大させるともっと信じようとするので、それとは違うアプローチが必要です。同じ信仰、あるいは共同体の集団内で行き過ぎを戒めるような工夫がないと、皆ますます極端なコミットメントに走っていく可能性があります。
コミットメント可能な物語
藤井 ありがとうございます。すごく盛りだくさんで。僕がこのレクチャーシリーズでよく話すのが、人は物語を食べて生きているということです。宗教でも推し活でも、物語がフレームとして存在していて、そこに入っていくわけですから。
柳澤 物語ということで言えば、キリスト教の右派の人たちが作り上げている物語というのは、千年王国説という、早い話が終末論で。世界はいつ、どのように終わるかという、ものすごく込み入った物語を作り上げているんですね。
調査などをしていて感じるのは、おそらく科学の与える物語というのは、一般の人たちにとっては難しくなりすぎてしまっていて、自分のコミットできる余地がなくなっている。
そうなった時に、反ワクチンとか、陰謀論とか、あの手の物語は誰もが自分はそれについてこう思うと言えて、コミットできるといいますか。むしろ科学のストーリーに対して、敵意を持つ人が不思議な形で増えている。コミットメントが現代のテーマだと思うんですけれど、コミットできないものに対して、ものすごい不快感のようなものが広がっているように見えています。

藤井 それは、僕も最近よく感じることがあって。少し前にフラットアース(地球平面説)の人と話す機会があったんですけど、ちょっと矛盾を指摘するようなことを言うと、うわーってそれに対する答えを持ってくるんですよ。物語が微に入り細に入りで、僕はそんな詳細な物語空間を持っていないから、科学的に考えていたはずなのに完全に負けるんですよね。自分にびっくりしました。
柳澤 どうしてそんな細かい、複雑な物語を信じなきゃいけないのかと思うんですけど、自分で計算をしたり、それについて発信してコミュニケーションをしたりできる、ということに大きな意義を見出しているんだと思います。
俯瞰することの大切さと難しさ
藤井 神様のような絶対を置くと、やっぱり敵と味方に分かれてあんまり幸福じゃない世界になっちゃう。一方で、視点を変えるとその絶対性というのもそうでもないよね、というのが分かるわけだから。俯瞰する視点を持ちながら、推し活だとか、聖なる価値というものを楽しむのがこれからの新しい生き方じゃないかと思うんです。
柳澤 私も俯瞰した上で自分の「宗教」を楽しんでくれればいいなと願いつつ、現在、宗教を信仰しない人は増え、反対に信じる人の信じる度合いというのがものすごく極端になっていて、両者を調停することが困難になっています。どこの国でも似たような現象が起きていると思うんですが、俯瞰して相対的視点を持つことに耐えられない人たちがトランプ氏を押し上げたと思いますし、その事実はなかなか重いものがあるという気がするんです。
藤井 やっぱり、俯瞰するのってものすごく認知負荷が高いから、嫌なんですよね、皆。信じて留まる方が楽なのは分かるんですけど。でも、推し活っていうのは基本的に遊びじゃないですか。皆これはエンタメだって分かってるわけですよね。それが広がって、宗教と並ぶ可能性があったとしたら面白いなと思います。

リアル・メーカーが世界を動かす
柳澤 私は絶対的なコミットメントを求める右派の人たちの欲求にも共感できる部分はあるんです。ただ、それによってあまりにも自然科学的なものの見方が否定されるのはどうなんだろうと。全然違うリアルに生きちゃってるというか。
藤井 だから、僕が普段から現実科学で言っていることを今日の言葉で言うと、自分の宗教を作れ、ということだと思うんですよね。人が準備してくれたフレームの中でそれに準じた聖なる価値を消費しながら生きていくのは楽だけど、それをすると結局分断と対立が起きちゃうし、フレームの関係性に取り込まれたら抜けられないし。
柳澤 なので、先ほども言ったように、行き過ぎている時には同じ信仰や共同体というグループの内部の人たちがお互いに遠慮なく言っていかないと自滅しちゃう。
藤井 僕がアメリカの強さだと思うのは、本当に皆よく喋るじゃないですか。学歴の高い低いに関係なく、自分の考えを遠慮なくベラベラ喋る。トランプ氏に投票した人だって、グラデーションがあって。だから、あの国の強さには希望があると思う。
柳澤 それは間違いなくあると思います。なので、もう自分で積極的に宗教を作っていって、本当の宗教ではないですけど、リアル・メイキングしたものが共有されていって、それによって変わっていくことを期待する方が良いかもしれないですね。宗教ではなくても、芸術であったり、制度であったり、色んなことがあり得ると思うので。
藤井 世界を動かしているのはもう国ではなくて。
柳澤 リアル・メーカーが本当に動かしてくというのは、否定できない現実かなと思います。
柳澤先生にとっての「#現実とは」
藤井 最後に、先生にとっての現実とは何かをひと言でお願いしたいと思います。
柳澤 そうですね。現代においては、人々が感情を通じて感じとっているものが最も現実的なものだと思います。
藤井 感情ですよね。やっぱり、それによって人間がドライブされていると。
柳澤 決してそれを肯定しているわけではなくて。ただ自分も含めて、多くの人がそれを拠り所にしているんだろうなという気がします。
藤井 人を動かすものってそこですものね。ありがとうございます。
(テキスト:ヨシムラマリ)
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