現実科学レクチャーシリーズ

Vol.40 北岡明佳先生レクチャー(2023/10/31開催)

デジタルハリウッド大学と現実科学ラボがお届けする「現実科学 レクチャーシリーズ」。

「現実を科学し、ゆたかにする」をテーマに、デジタルハリウッド大学大学院 藤井直敬卓越教授がホストになって各界有識者をお招きし、お話を伺うレクチャー+ディスカッションのトークイベントです。

Twitterのハッシュタグは「#現実とは」です。ぜひ、みなさんにとっての「現実」もシェアしてください。

概要

  • 開催日時:2023年10月31日(火)19:30~21:00
  • 参加費用:無料
  • 参加方法: Peatixページより、参加登録ください。お申込み後、Zoomの視聴用リンクをお送りいたします。
    視聴専用のセミナーになりますので、お客様のカメラとマイクはオフのまま、お気軽にご参加いただけます。

ご注意事項

  • 当日の内容によって、最大30分延長する可能性がございます。(ご都合の良い時間に入退出いただけます。)
  • 内容は予期なく変更となる可能性がございます。
  • ウェビナーの内容は録画させていただきます。

プログラム(90分)

  • はじめに
  • 現実科学とは:藤井直敬
  • ゲストトーク:北岡明佳
  • 対談:北岡明佳氏× 藤井直敬
  • Q&A

登壇者

北岡明佳

1961年高知県生まれ。1991年、筑波大学大学院博士課程心理学研究科修了、教育学博士。大学院在籍中は、動物心理学を専攻、ラットとマウスの情動性と穴掘り行動を研究した。1991年から2001年まで、財団法人 東京都神経科学総合研究所(現在の公益財団法人 東京都医学総合研究所)に主事研究員として勤務。ニホンザルの大脳視覚皮質の電気生理学的研究と、ヒトの知覚研究を行なった。2001年より、立命館大学文学部助教授、2006年より同教授、2016年より総合心理学部教授、現在に至る。現在の専門は知覚心理学。特に、錯視の実験心理学的研究と、錯視デザインの創作を得意としている。2002年に開設したウェブページ「北岡明佳の錯視のページ」(下記URL)には、日本語版・英語版ともに多くのアクセスがある。SNSでも錯視の情報を発信している。

https://www.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/

藤井 直敬

株式会社ハコスコ 取締役 CTO
医学博士/XRコンソーシアム代表理事
ブレインテックコンソーシアム代表理事
東北大学医学部特任教授
デジタルハリウッド大学 大学院卓越教授
MIT研究員、理化学研究所脳科学総合研究センター チームリーダーを経て、2014年株式会社ハコスコ創業。主要研究テーマは、現実科学、適応知性、社会的脳機能の解明。

共催

現実科学ラボ
REPORT

※本稿では、当日のトークの一部を再構成してお届けします。

無意識のしくみを狙って、現実を操作する

藤井 まずいつもの通り、現実科学とは何かというのをちょっとお話しさせていただきます。僕らが普段生きている世界観は、科学的世界観といって、すべての人は共通の現実を前にして、その中で見たり聞いたりする。意識的な自分も同じものを見ていると。そういう世界観ですね。

この世界は非常に強くて、再現性もありますし、未来を予測することもできる。なので、この世界にいる限りは安泰で、何も疑うことがないんですけれども、実は人と脳はそういう風に合理的にできていなくて、色々と面倒くさいことをやらかすわけですね。

意識的な自分が脳の中でやっている作業はほんの少ししかなくて、ほとんどは無意識的な自分というのが、私たちの脳のファンクションとして存在している。こういう世界観というのは、先ほどの科学的な世界観と相容れない。だけど、その分、シンボル化できない、非常に豊かな世界を持っているというのが、神話的世界観です。

今日お招きした北岡先生は、日本だけではなく、世界中で注目されている錯視の研究家と言っていいと思うんですけれども。北岡先生の錯視は、たぶん無意識が生み出していて、それが意識に上るところで、色々と変なことをやっているんじゃないか?というのが、僕が今回、先生をお招きした理由です。今まで、この無意識のところのしくみを狙って、現実を操作している人ってあまりいなかったので、今日はすごく楽しみにしています。

錯視は合理的な視覚の機能の副産物

北岡 ありがとうございます。立命館大学の北岡と申します。パワーポイントを使わずに、ウェブページで失礼します。作品は、こちら(『北岡明佳の錯視のページ』)で皆さんも見られるようになっていますので。

錯視研究には150年以上の歴史があります。心理学の歴史よりもちょっと古いという感じです。私が行なっている研究は、クラシックな錯視の延長線上にあるという風お考えいただければと思います。作品をいくつか紹介しながら、現実科学として使えるのか、あるいは使えないのか、というようなところを考えてみたいと思います。

ただ私の基本的な考え方としては、錯視自体を考察しても、現実についての認識はあまり深まらないように思っています。というのは、錯視は何か、合理的な視覚の機能の副産物と考えているからです。

錯視研究が始まった当初は、錯視を研究すると視覚が分かる、と期待されていました。それがなかなか分からん、ということで、知覚のできそこないが錯視だ、という感じになり、20世紀の終わりぐらいには錯視なんて研究してもね、となった。それが今になって、手書きではなく、パソコンで正確な図が描けたり、動画が作れたりということによって、錯視研究が再び盛んになっている状況かという風に私は思っております。

錯視かどうかは、人間の認識しだい

北岡 研究していくと、錯視は別に不合理の知覚ではなくて、何か合理的な知覚があって、それの副産物、というか一部、みたいなことが多くみられます。

例えばですね、ここに円筒が回っているように見える図形を出しています。これがどう錯視かというと、ドットは回っているんだけど、筒の部分はただの静止画なんですね。でも、全体が回って見える。錯覚だといえば、錯覚なわけです。しかし、これは視覚の普通の機能で、テクスチャーが無いようなものだから、それに引っ張られて正しい動きが知覚されているんだと考えれば、実に合理的なわけです。

この絵を作った動機が、イタリアのミラノにあるサンシーロスタジアムです。この螺旋のスロープを人が歩いていると、錯覚で全体が回転しているように見える。それをデモとして作ったのが、先ほどの作品です。

錯視かどうかというのは、要するに人間の認識で、面白いかどうか。面白いのが錯視です。円筒はそもそも現実じゃないわけですよね。ところが、サンシーロスタジアムは、現実なわけです。つまり、我々が何を現実とするかによって、「錯視です」だったり、「普通の知覚です」だったりする、という話だと思っております。

人気ナンバーワン「蛇の回転」

北岡 私は錯視そのものも色々と発見したつもりですし、デザインも色々と工夫してきたつもりですので、それをちょっとご紹介していきたいと思います。

人気ナンバーワンはこの作品でして、「蛇の回転」といいます。2003年に作ったもので、私のトレードマークのようになっています。何もしていなくても、リングが回転して見える錯視です。フレーザー・ウィルコックス錯視というのがありまして、その改良版です。

中心視は錯視が弱いんですけれども、周辺視は強い。なぜかというと、その辺はまだわかっていないのですが、作り方や、色があると錯視が強いというのは分かっている。現象はわかっているけれども、神経メカニズムがよくわからないと。それはちょっと今後の課題かなという感じです。

正方形が波打って見える「サクラソウの畑」

北岡 次に人気なのはこちら、「サクラソウの畑」です。ポイントは、暗い色と明るい色のチェッカーボードを作って、その交点のところに、明るい十字と暗い十字を置くと、動いて見えたり、傾いて見えたりするという錯視です。こんな風に配置すると、傾き錯視的にも波打って見えるし、動きの錯視としても波打って見える、というものです。

静止画が動いて見える錯視

北岡 これは、配布プリントなんかに入れておくと、結構人気者ですね。真ん中のパターンがなんとなく動いて見える。外が動いて見えるという人もいますね。私は真ん中しか動いて見えないんだけれども、データをとると、外も、というか両方動いて見える人が多いのかな?中は止まっていて、外だけ動いて見えるという人も稀にいたりして、そこは研究が必要です。

先ほどの「サクラソウの畑」の、傾き錯視と、静止画が動いて見える錯視が同居するものの、別形態ということになります。

黒と白の縞模様なのに赤く見える

北岡 これは、コカ・コーラの缶。赤く見えるでしょう。でも、拡大してみると黒と白の縞模様です。赤色はどこにも使っていないんですね。これは要するに、並置混色が成立するくらい縞模様が細かくなると、赤く見えるというものです。

そうすると、当然いただく質問はですね、「コーラが赤いと知っているからじゃないですか?」と。これは、知識で赤く見えているわけではなくて、知覚的な錯視でこう見えているわけです。今日のスライドでは用意していませんけれども、青いコーラとか、黄色いコーラもできますし、皆さんが赤いと知らない立命館の旗でも、同じようにできますので。

赤と青、どちらが手前に見える?

北岡 こちらは、日本語でいうと色立体視。赤と青のツブツブがありますが、赤が手前に見える人と、青が手前に見える人にわかれます。赤が手前に、青が奥に見えるという人が過半数で、5〜6割。逆に、青が手前に見える人が1割、多い時は2割くらいいるという錯視です。

で、これが困るんですね。何が困るかっていうと、横色収差説というのがありまして、それだと赤が手前に見えることになっている。なので、青が手前に見える人いることが説明できないんです。

藤井 北岡先生、僕は前になったり、後ろになったりが入れ替わるんですけれど。

北岡 あ、それはですね、メガネをかけていらっしゃる方にはそれが起きるんです。かけた時と外した時でも違ったり、距離によっても違ったりということが起こるので。

藤井 本当だ、メガネを外したらひっくり返った。

北岡 個人差もあってね、わかれます。面白いので、ぜひお試しください。

錯視は現実の役に立つことができるのか?

北岡 この辺りがまあ、有名どころ、面白いところという感じであります。それで、現実に役に立つものを出せば、現実科学になるか?ということで紹介しますが、はっきり言って、あまりないです。

ひとつ、いけそうかなと思って警察にも売り込んでいるのが、視点フリーのイメージハンプ。車のスピードを落とさせるための、いわゆる騙し絵のようなものは、一点でしかそう見えないわけでして。なので、視点フリーのものを作りました。逆にしても同じで、斜めから見ても盛り上がって見えます。

京都府警や山口県警に売り込んで、その時は「検討します」とか、調子の良いことを言ってくれるんですけれども、その後はなしのつぶてですね。

他には、静脈錯視を応用した静脈の鮮明化ですね。写真から、鮮やかさのマッピングで血管をむき出しにするわけです。これも3つほど医学部に売り込みましたけれども、「素晴らしいですが、特に使い道はありません」と言われてしまいまして。というのは、実際に注射などをする時は触診をするんです。目視だけでやっているわけではないので、それはいらないと。欲しいのは深いところの血管だと言うんですけれど、表面の写真では深いところの血管はわからないので、今のところ計画倒れのような感じです。

他には、「落書きを素早く隠すゲシュタルト心理学の手法」というのもありますが。つまり、あまり役に立つものはできていないので、ちょっと現実科学の役には立たないかもしれない。ということで、以上でございます。

錯視はどうやって作る?

藤井 ありがとうございます。北岡先生が今はしょったところを全部聞きたくなります。錯視を作る時は、どうやって作るんですか?過去に知られているものをベースに作るのか、何かゼロから思いついて「これいけるじゃん」みたいなことなのか。

北岡 思いついて作る時もありますし、計算で作ることも、何かヒントがあって作ることもあるので、一概には言えません。私としては一応、サイエンティストのつもりでいますので、ロジックでこうなるはずだと作ることもありますが、あんまりそういうのは多くなくて。なぜか「これをやらねばならん」、という感じで、そっちに行ってみたらできました、ということがあったり。系統立ててやってはいますが、思いつく時は思いつくので。

錯視のメカニズムを証明することは難しい

藤井 錯視を起こす神経メカニズムがあるのか、というような質問に対して答えなければいけない、それが難しいというお話を、今日も何回かされていたと思うのですが。

北岡 例えば、先ほどの静止画が動いて見える錯視と傾き錯視が同居している錯視は、パターンを4つ並べるとできるんですよ。なので、そういうニューロンがありそうだ、ということはわかるんですが、現時点では見つかっていない。なので、論文を書くときに、メカニズムの説明として「こういう理論に基づいている」と書けなくて、現象の説明で終わってしまうんですよね。ちょっと、そこは弱いです。

藤井 脳内のメカニズムを、神経細胞レベル、そこでの信号処理のレベルで説明できていないという意味ですか?

北岡 そうですね。私としては、こういうニューロンがあるはずだ、こういうモデルになっているはずだ、と思ってはいるんですが。それを証明すること自体がすごく難しい。そういう目で、頑張って探せば、たぶん見つかるとは思うんですけれども。

おかしいと気づく瞬間に面白いと感じる

藤井 錯視のような現象って、意識に上がってきたときにハッて思うわけじゃないですか。無意識のなんだかよくわからないメカニズムが、僕らの意識上に表象した瞬間に、歪んで見えるとか、動いて見えるということが発生している、という理解でいいんですかね?

北岡 歪んで見える、動いて見えるというのは知覚なので、起きてはいるんです。要するに、意識のレベルで知識と照合して、それはおかしいと気づいたら、面白がるという感じではないかと思います。

藤井 ちゃんと見たらおかしいってわかるけど、何も考えないとわからない。

北岡 おかしいねとか不思議だねというキッカケって、話の持っていき方というか。だから錯視って、エンターテインメント的なところがあって。そういうお膳立てにのっていれば面白いね、なんだけど、そうでないと普通の知覚の表れかなと、私は思っています。

錯覚の研究は、知覚の本質の研究

北岡 錯視はそもそも、人間が持っている合理的な知覚のメカニズムであって、それが誤動作だとか、副作用を起こし、かつそれを面白いと感じるシチュエーションになったときに、錯視だ、となる。

現実科学ラボのご期待としては、「錯覚は現実を裏切る」なんて言えばもっともな感じに聞こえるのかもしれないですけれど。私としては、人間の知覚が非常に良くできていて、でも良くできているためにちょっと無理があるようなところがあって、それによって違う風に見えたときに、不思議だ、面白い、となるのが錯覚だと思っていますので。錯視というのは、意識に上るような強い現象なので、それを利用して私は知覚の本質を研究しているつもりでおります。

視覚以外の錯覚についての研究

藤井 視覚以外の、他の感覚に対する錯覚というのは、北岡先生はあまりやられないんですか?

北岡 私自身はやっていないのですが、聴覚では名古屋市立大学の小鷹研理先生などがおられます。もちろん、私自身がやってもいいのですが。昔、興味があった頃はパソコンでやるといってもシンセサイザーなどが必要だったのが、今はパソコンだけでできますから。

藤井 何かそういう、錯覚のクロスモーダル(※視覚と触覚、味覚と嗅覚など、人間の感覚に五感が相互に作用し合う現象)みたいなもので、新しい知覚が生まれたりしないのかな?

北岡 それはもう、バンバンすると思いますよ。私はハッキリ言って、視覚だけでもネタに困っていませんから。それで他の分野、錯聴や錯触をやっている人はうんと数が少なくて、蓄積そのものも少ないですから。それはこれからの分野ですよ、という感じです。

VRから新しい錯覚は出るか

藤井 これから、VR環境で錯視を使った視覚提示のしかたってありますよね?

北岡 バリバリあると思うので、もっと早くやっていれば、と後悔するだろうなと思っているんですけれど。まあ、まずはやらないと。

藤井 錯視とは違いますけれど、VR酔いで、真ん中に自分の鼻を見せると酔いにくい、みたいなのもありますからね。

北岡 参照点があるといいのかな?

藤井 そうみたいですね。なにか、そういうのがいっぱいあって、ひとつの分野になる気がします。それと触覚と聴覚をうまく組み合わせる何かが出てくると、面白いんじゃないかと思います。

錯視をおもしろがるのは人間だけ

藤井 受講者の方からの質問で、「犬や猫が平面なのに穴に見える作品に驚く動画を見たりすることがあります。人間にしか起きない錯視というのはあるのでしょうか?」と。いかがでしょうか。

北岡 犬や猫が驚く動画というのは、何か別のトリックを使っているのではないかと思いますが。そういう話ではなくてですね、動物でも結構、錯視は起きますね。

藤井 人にしかない、というのあるんでしょうか?

北岡 錯視がそもそも人間らしいのです。どういうことかというと、他の動物も、一生懸命調べれば、人間と同じような錯覚があるらしいというのはわかります。でも、なんというか、錯視を面白がるのは、どうみても人間だけなんです。

藤井 わからないということですね、きっと。「なんでだろう?」と思わない。

北岡 まあ、そういうことなんですかね。不思議がらない。「ああ、飛び出てるな」で終わりですよね。芸術を楽しむのもたぶん人間だけだから、錯視もそういうものの仲間じゃないか、という気はします。

錯視のメカニズムを詳しく知りたい方におすすめの本

藤井 もうひとつ。「今日の授業ではしょった部分を含め、錯視のメカニズムを詳しく知りたいのですが、何を読めばいいですか?」

北岡 私の著書では、『イラストレイテッド 錯視のしくみ』(朝倉書店)がおすすめです。わりと新しい作品の説明もバンバン入れてあります。絵本みたいですが、専門書なので、楽しい内容も入れつつ、専門的な知識も入れてあります。

それと、『錯視の科学(おもしろサイエンス)』(日刊工業新聞社)ですね。こちらは一般向けで、4ページずつのコラムになっておりますので、初めての方はこれぐらいから読まれると楽ちんかなと思います。

他にも、私のホームページに「北岡の著書」という一覧がありますので、こちらをご参考にしていただければと思います。

北岡先生にとっての「#現実とは」

藤井 最後にいつも通り、北岡先生にとっての現実とは何か、をひとことでご説明いただこうと思います。

北岡 本当は「現実は錯覚だ」っていえばウケると思うんですけれども、そうではありませんで。私にとっての現実とは、「知覚と経験が構成するバーチャルな空間」。だから、バーチャルリアリティーみたいなもの、という風に考えます。

藤井 はい、ありがとうございます。では、ここで締めさせていただきます。北岡先生、どうもありがとうございました。

北岡 ありがとうございました。

(テキスト:ヨシムラマリ)