現実科学レクチャーシリーズ

Vol.71 福岡 俊弘さんレクチャー(2026/5/26開催)

2026年5月26日、「現実科学レクチャー Vol.71」が開催されました。本ページでは、当日のレクチャーの様子をレポートとしてお届けします。

REPORT

※本稿では、当日のトークの一部を再構成してお届けします。

職業、編集長。

藤井 今回はデジタルハリウッド大学大学院の特命教授、福岡俊弘先生をお招きしています。福岡先生は、デジハリはいつからですか?

福岡 開学の時からずっとですよ。3年前に定年退職しましたが、今年の秋から大学院の特命教授という肩書きを頂きまして、また授業を受け持つことになりました。もう雑誌の方も卒業しましたけれども、ずっと編集というものに携わっていて、今は合同会社スノウクラッシュで初音ミクの楽曲『千本桜』のメディア展開を手がけています。

もともとは編集者として、EYE・COMというパソコン雑誌の編集長を5年ほどつとめました。その後は1997年から週刊アスキーの編集長、2005年からは総編集長として15年ほど。EYE・COM時代と合わせるとほぼ20年間なので、「職業は編集長」と言ってもいいような、そんな経歴です。

そんな中で初音ミクの文化に関わってきたのが2007年頃からです。初めての海外単独コンサート『MIKUNOPOLIS』のプロデューサーを務めたり、2022年からは『千本桜の世界展』を手がけたり、というのをやっています。

見立てによって始まった星座の物語

福岡 さて、今回は藤井先生から「現実とは何か」をお題として頂いていますが、その前にちょっと星座の話をしたいと思います。皆さんもご存知の通り、牡羊座とか大熊座とかオリオン座とかって言っても、別に夜空に羊も熊もオリオンもいませんよね。

紀元前3000年頃、古代メソポタミア人が天空の星々に神や動物の姿を見立てて、お話を作っていったのが星座の始まりと言われています。それから5000年の時を経て、星座は終わることのないナラティブとなってなおも私たちの頭上で輝き続けています。そして、初音ミクも星座のひとつになる、というのが今日の話の結論です。どういうことか、これからお話していきたいと思います。

差異を生む差異

福岡 今回はグレゴリー・ベイトソンとフォン・フェルスター、そして近松門左衛門。この3人の思想をたどることで現実に近づいていきたいと思っています。

ベイトソンは、サイバネティクスに最初に関わっていた方であり、情報とは何かをずっと見つめてこられた思想家です。有名な言葉に "A difference that makes difference" があります。「差異を生む差異、それが情報である」ということですね。僕が情報編集という授業をやっている時には、常にこの言葉が頭の片隅にありました。

情報はそこにあるだけでは情報ではなくて、関係の中にしかありません。石や岩はただそこにあります。でも、岩があるという知覚はシステムとの関係において初めて情報になるわけですよね。そして大事なのは、心はシステムのパターンに宿るということです。

例えば、鏡に映る自分を見て自分だなと思う。それを何度も何度も繰り返しているわけです。再帰するパターンの中で、自分というものをはっきり認識する。そのパターンが安定したところに現実があるんだということです。

精霊を呼ぶ縄文土器

福岡 ここで全然関係ない話をちらっとしますが、縄文研究者で小林達雄さんとう方の縄文土器に対する見立てがとても面白くてですね。縄文土器って、そもそもは煮炊きの道具なんですよね。縄文人はどんぐりを食べるんだけど、そのままだと渋くてとても食えたもんじゃない。ところが、何回も煮炊きを繰り返すことで渋みがとれて食べられるようになる。

今だったら煮炊きによる科学的な作用で渋みがとれたって思いますけど、縄文人は精霊がそこに宿って何らかの作用をなして渋みをとってくれたというふうに考えた。だから、縄文土器の複雑な意匠は、聖霊を呼ぶための紋様だったと言うんですね。

これはおおよそ物語性の高い話ですけれど、なるほどと思ったのは縄文人にとって精霊は見えていたんですよ。つまり精霊は現実だった。そこはすごく重要だと思います。

再帰的操作の中に立ち現れる現実

福岡 フェルスターの話に戻ります。ベイトソンと同じく、サイバネティクスの研究をされた方ですね。僕がすごくいいなと思うのは、彼の「客観性とは、自分の観察を観察しない人の言い訳である」という言葉です。

鏡の前で手を振ると、鏡の像も手を振る。その時、手はどこにあるのか。鏡の中なのか、こちら側なのか、それとも繰り返すこの再帰的操作の安定点として存在するのか、とフェルスターは考えたわけです。言葉がすごく難しいんだけれども、再帰的操作の中で最も安定したところに立ち現れるのが現実である、ということを言っています。これがアイゲンフォルムです。

繰り返しの操作がアイゲンフォルムを産出する。そして、観察するときは必ず観察者が含まれる。それによって、アイゲンフォルムが安定する。なかなか難解ですが、この地平に立って今度は近松門左衛門を読んでみましょう。

実と嘘の皮膜の間にあるもの

福岡 人形浄瑠璃や歌舞伎で多くの名作を残した近松門左衛門。その教えをお弟子さんがまとめた本『難波土産』の中に、「芸というものは、実(まこと)と虚との被膜の間にあるものなり」という言葉があります。僕が情報編集の授業をやる時も、最後にたどりついたのはこの「虚実皮膜論」でした。

例えば、出来上がりがリアルすぎても感動が消えるわけです。でも、あまりに嘘っぽいと今度は客が冷えちゃう。AIの作った音楽や動画って、正直に言ってそんなに面白くないんですよね。すごく良くできているのになんで気持ちが離れていくのかなと考えると、ここなんですよ。ちょっと嘘すぎる。

本当に感動する芸とか芸能っていうのは、このリアルと嘘の薄皮一枚の境界線なんだということを近松は言っているわけです。つまり、フェルスターで言うところのアイゲンフォルムが産出されるギリギリの産出条件。これが皮膜なんだろうと思います。そして、皮膜とはベイトソンで言う差異の密度が最も高い場所でもあります。

人形が人間ではないという差異

福岡 人形浄瑠璃の人形でおもしろいのは、あれ、明らかにおっさん3人で遣っているわけですよ。で、人形もやっぱり明らかに人形なんだけど、泣けるわけですよ。生身でもないのに、涙を流すほどの感動のポイントが立ち上がってくる。これって何だろうなと思った時に、人形が人間でないという差異が最大の情報密度を持つ感動を生んでいる。

要は人形だから。むしろ人形でいいわけです。人形が演じる作品とそれを見ている観客の間に再帰ループがある。その繰り返しによって最も安定したアイゲンフォルムが立ち上がって、それが感動なんだ、と。

初音ミクは星座である

福岡 この皮膜が消えないポイントは、文楽芝居を見に劇場へ行かなくてもある。それが、見上げた夜空の星座ではないか、というのが今日のお話です。星を見てそこに想像を繰り返すという再帰的ループの中で星座が産出された。これが、人間の根本的な認知の様式ではないかと。つまり、星座というのは、オリオン座もさそり座も現実なんだ、と僕は思うわけです。

そこで、星座を初音ミクに置き換えてみましょう。初音ミクも特定の声優ではないですし、特定のイラストや楽曲、ライブ映像でもないわけです。声のデータはたしかにあります。これはリアルなところです。そして、嘘としては初音ミクは物理的にはいないわけですよね。

だけれども、実と嘘のこの再帰的ループの中で、その張力の中で初音ミクが立ち現れたんだと思います。それが、僕らが見ている現実です。初音ミクに見る現実というのはおそらく、人形浄瑠璃を見る時と同じ目線なのではないかというのが僕の説です。ということで、初音ミクもやがて星座のひとつになるというのが今日の結論です。

差分は認知の基本

藤井 ありがとうございます。まさか、こういう話がくるとは思わず。無茶ぶりにでっかいブーメランが返ってきた気分です。ひとつ教えて頂きたいのは、差異というのはどのように定義されているんでしょうか?

福岡 「ズレ」ということだと思います。差異というのは例えば鏡に手を振った時にちょっとズレるもの。たぶん実際の物理的な動きと、僕らが知覚する時の動きがズレてるんだと思うんですよ。そこで初めて認識できるのではないかと。

藤井 なるほど。神経系自体がね、差分がないと認知できないですからね。

福岡 そうなんですね。

藤井 差分に非常にセンシティブなので、動きがないと。そういう意味でも、差異が認知の基本だというのは、それはそうだなと思います。だから動物がびっくりした時にフリーズするのは、本当にそれだけで見つかりにくくなるっていう。うちの庭に毎日リスがやってくるんですけど、フリーズすると木の枝と同じ茶色だから「これは分からん」と思って。

福岡 人間も固まりますよね。

藤井 人間もフリーズするのは意味があるんですよ。

階層化されたツリー構造を覚えるのが知識だった

藤井 情報編集についての新しい授業を始める時に、松岡正剛さんのところに相談に行かれたというのを何かで読んだことがあるんですけれど。

福岡 ちょうどGoogleが日本に上陸した頃、今ほど一般的になる前の2006年くらいだったと思います。検索によって情報へのアクセスの仕方が変わるよねと思って。僕らみたいな昔の人って、ツリー状に考えるんですよね。週刊アスキーという雑誌を探すにあたって、それはお米屋さんじゃなくて本屋さんに行きますよねと。それで、雑誌のコーナーに行って、パソコンのジャンルに行くと週刊アスキーがある。

これは情報が階層化されて、ツリー状に並んでいるわけですけれど、検索時代ってそれが必要ないんですよね。いきなりアクセスできちゃう。そのツリー状の情報を覚えることが知識だったはずなのに。それで僕、すごくびっくりしちゃって。

藤井 びっくりしたんだ。

世界の構成を変えたGoogle検索

福岡 ちょうどその頃、家族でロンドンに遊びに行こうという話になって。うちの一家はサッカーが好きだからプレミアリーグの試合が見たいねって。じゃあちょっとサッカーの情報誌を買ってきてチケットの買い方を調べて、地図でスタジアムへの行き方を見て、って僕は思ったんですよ。そうしたらね、当時小学4年生だった次男が「ググればいいじゃん」って言ったんですよ。それがすっごい衝撃で。

藤井 だって福岡さん、アスキーの編集長でしょう。

福岡 いや、そうなんですよ。でも雑誌の作り方ってのはそうやって作っていたわけですよ。

藤井 じゃあ、その時まで世界はやっぱりそういうふうに構成されてたんだ。

福岡 Googleの検索のすごさをメディアで伝えながら、実は本当には分かっていなかっていう。「これかー」と思って。

藤井 だって仕事でさんざんやってるのに(笑)。ということは、今のAIも同じ感じで、僕らは分かったフリして実はどこかのびっくりする瞬間まで分かっていないのかもしれないですね。

福岡 かもしれないですよ。何が本当のすごさかは、実は分かっていない気がします。

データベースとしての記号

藤井 初音ミクも人形浄瑠璃も日本から出てきたというのがおもしろいなと思いながら聞いていました。何か通じるものがあるんですかね。

福岡 近松の時代の人形浄瑠璃の人形って、1人だけで動かしていたそうです。それが近松が亡くなった後、それこそ『義経千本桜』が登場する時代になると3人で遣うようになる。そうすると非常にリアリティが出るんですね。

藤井 でも、1人の時も同じように感動を生んでいたってことでしょう。

福岡 たぶん、分かりやすいデータベースがあったんだろうと思うんですよ。例えば『曽根崎心中』で言えば、大阪で実際にあった心中事件で、物語も顛末も知っている人たちが見に行くから、人形は記号でも良かったのかもしれない。もう一つは、太夫の語りの方がウエイトが高かったんだと思います。

藤井 そうか、じゃあ人形自体は視覚的な添え物というか。メインは謡いだった。

福岡 これって、初音ミクの出始めとよく似ているんですよ。最初は楽曲がメインで、初音ミクの一枚絵が貼られているだけなんですね。ただただ、この子が歌っていますっていう記号として置かれている。それが2010年から2011年にかけて、ぐりぐり動く動画になっていく。

藤井 たしかに、流れとしてすごく似ていますね。

福岡 だから、それを動かしたい、踊らせたいと思った人が在野にいるというのが本当におもしろい文化だと思います。

文楽人形は人の動きをしようとする

藤井 それこそ人形を使う劇はあるじゃないですか、世界中で。それらと人形浄瑠璃の違いはあるんですか?

福岡 物語を太夫が通しで語るっていうのは他にないと思います。もうひとつは、西洋の人形はやっぱり異形のものなんですよ。人に似せて作らない。ピノキオのピノキオ人形なんです。それで、人形らしい動きをする。でも文楽人形は、人の動きをしようとするんですよね。これはめちゃめちゃ違うところだと思います。

藤井 それは初音ミクにも通じるんですか?

福岡 ボーカロイド自体は他の国、例えばスペインのように子音と母音の関係がしっかりしているところにはあるんですけど、本当に楽器という形で使われていて、そういう発想はなかったですね。初音ミクが登場した時に、パッケージに「メロディーと歌詞を入力すると初音ミクが歌ってくれます」ってキャッチコピーが書いてあったんですよ。これはすごいなと思って。

藤井 それはもうちゃんと「いた」ってこと。

福岡 初音ミク「に歌わせる」という言い方じゃなくて、初音ミク「が歌ってくれる」なんですよ。すでに仮想のキャラクターが立ち上がっていたんですよね。

小さな空気をどう読むか

藤井 編集者って、基本的には情報をとってきてそれを再構成する仕事じゃないですか。それはある程度のフォーマットを身につけたら、考えなくてもできるものなんですか?

福岡 加減とか塩梅、松岡正剛さんが言うところのフィールに近いもの、その「感じ」っていうのは時間軸でどんどん変わっていくわけですよね。これがなかなかAIでは追いつかない部分だと思います。

例えば今日、某野球の監督が逮捕されました。そうすると、娘について論考するような記事を作る時に、ちょっと変わってきますよね。

藤井 そうか、そうだね。

福岡 だから、ある種のフォーマットにはめこめば出てくるかっていうとそういうものではなくて、ちょっとしたダイナミズムがあるんです。その空気を読み取れるかどうかみたいなのが、実は編集術なんですよ。

藤井 日々の世界の変化に対応したダイナミックさが必要だということですか。

福岡 そんなに大げさではなくて、もっと小さな空気みたいなものをどう読むか、という。

藤井 それは教えればみんな身につくものなんですか?

福岡 身につく人は身につきます。才能っていうよりも編集センスって呼んでいますけど、ここの言語化ができない。授業で言語化しようとして僕は何度もすごいやってきたんですけど、最後の最後までそこだけは言語化できていないんですよね。

物語を受け取る自分の中の物語

藤井 往復の中で立ち上がってくるっていうのがおもしろかったんですけど、人形浄瑠璃の場合もそうなんですか?

福岡 人形って、別に表情は変わらないじゃないですか。ただ見ていると、泣いて見えたり、おびえて見えたりするんですよ。それって、もちろん人形遣いの技もあるんですけど、言ってみれば観客である観察者の思いが乗っかっているからだと思うんです。そこが感動のポイントなのかなと。

藤井 初音ミクでもそれは起きるんですか?浄瑠璃で泣くのとミクで泣くのは同じ構造なんでしょうか。

福岡 起きます、起きます。かなり近いところがあって、物語に泣いているのか、その物語を受け取っている自分の中の物語に泣いているのかという。例えば、子供の話って泣く人のパターンが決まっていて、年配の女性が多いんですよ。そこに自身の子育ての思いが重なっていたりするとすごく泣けますし。

初音ミクも同じで、この曲にあの思いを持ったその時の自分があって初めて感情移入ができるんだろうなと。きれいに踊っているミクをみて「わーすごい」っていうのもあるんですけど、そこで感情をゆさぶられるっていうのは、その人自身なんだと思うんですよね。

福岡先生にとっての「#現実とは」

藤井 それでは最後に、福岡先生にとっての現実とは何でしょうか?

福岡 僕にとっての現実は、嘘の裏っかわです。嘘の裏側にこっそりくっついているのが現実かなと思っています。

藤井 くっついている方なんだ。現実が主体ではなくて。

福岡 本当と嘘、ファクトとフェイクって、実は語源がどちらもラテン語のfacioからきているので、まさに紙一重なんですね。

藤井 facioというのはどういう意味なんですか?

福岡 「作る」や「行う」なのかな。だから、嘘の方が僕は大好きで。フェイクがいっぱいあって囲まれた中の皮一枚のところにたぶん現実があるので、囲まれても別に平気なんです。

藤井 雑誌編集者って、自分が見ているのと違う側を読者に渡すじゃないですか。渡しているものの裏側を見ているわけでしょう。そういうのと関係ありますか?

福岡 そもそも雑誌で書いていることってそんなに本当のことはない、と言ったら言い過ぎですけれど、基本的には読む側が嬉しいもの、読む側が納得するものを提供するのが編集者なんですよ。そこにフェイクが混ざっていてもいいじゃないっていうのはあります。でも、その中に必ずファクトも混ざっているわけで。

藤井 そこを君ら、ちゃんと理解して読めよってことだね。

福岡 だから、編集者だけがたどり着ける深淵があるんですよ。

藤井 なるほど、本質は編集者だな。

(テキスト:ヨシムラマリ)

登壇者

福岡 俊弘

編集者/デジタルハリウッド大学大学院特命教授
週刊アスキー編集長を経て、合同会社スノウクラッシュを設立。文化財のデジタル解説、地域観光向けのARや多言語ガイド制作、展示企画など、テクノロジーと物語を扱うプロジェクトに携わる。初音ミク「千本桜」の関連では、作品世界をベースにした数々の展示会やイベントをプロデュース。海外展開や派生キャラクター「にゃんぼんざくら」等を企画・監修。2023年より、AIと創作をテーマにした公開トークシリーズ「AI Bricolage Session」を主宰、編集とAIを軸に、メディア研究を行なっている。

藤井 直敬​

デジタルハリウッド大学 学長、卓越教授
医学博士/XRコンソーシアム代表理事
ブレインテックコンソーシアム代表理事
MIT研究員、理化学研究所脳科学総合研究センター チームリーダーを経て、2014年株式会社ハコスコ創業。主要研究テーマは、現実科学、適応知性、社会的脳機能の解明。

主催

デジタルハリウッド大学

共催

現実科学ラボ