デジタルハリウッド大学と現実科学ラボがお届けする「現実科学 レクチャーシリーズ」。
「現実を科学し、ゆたかにする」をテーマに、デジタルハリウッド大学大学院 藤井直敬卓越教授がホストになって各界有識者をお招きし、お話を伺うレクチャー+ディスカッションのトークイベントです。
Twitterのハッシュタグは「#現実とは」です。ぜひ、みなさんにとっての「現実」もシェアしてください。
概要
- 開催日時:2022年11月21日(月) 19:30〜21:00
- 参加費用:無料
- 参加方法: Peatixページより、参加登録ください。お申込み後、Zoomの視聴用リンクをお送りいたします。
視聴専用のセミナーになるので、お客様のカメラとマイクはオフのまま、気軽にご参加いただけます。
ご注意事項
- 当日の内容によって、最大30分延長する可能性がございます。(ご都合の良い時間に入退出いただけます。)
- 内容は予期なく変更となる可能性がございます。
- ウェビナーの内容は録画させていただきます。
プログラム(90分)
- はじめに
- 現実科学とは:藤井直敬
- ゲストトーク:為末大氏
- 対談:為末大氏 × 藤井直敬
- Q&A
登壇者
為末大
1978年広島県生まれ。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2022年8月現在)。現在は執筆活動、会社経営を行う。Deportare Partners代表。新豊洲Brilliaランニングスタジアム館長。Youtube為末大学(Tamesue Academy)を運営。国連ユニタール親善大使。主な著作に『Winning Alone』『走る哲学』『諦める力』など。
Deportare Partners https://www.deportarepartners.tokyo/
為末大学(Tamesue Academy) https://www.youtube.com/c/TamesueAcademy
新豊洲Brilliaランニングスタジアム http://running-stadium.tokyo/
藤井 直敬
医学博士/ハコスコ 代表取締役 CSO(最高科学責任者)
XRコンソーシアム代表理事、ブレインテックコンソーシアム代表理事
東北大学医学部特任教授、デジタルハリウッド大学学長補佐兼大学院卓越教授
1998年よりMIT研究員。2004年より理化学研究所脳科学総合研究センター副チームリーダー。2008年より同センターチームリーダー。2014年株式会社ハコスコ創業。
主要研究テーマは、現実科学、適応知性および社会的脳機能解明。
共催
男子100mの記録の推移から考える、人間の身体と現実
今回の現実科学レクチャーシリーズは、元陸上競技選手で男子400mハードルの日本記録保持者(2022年8月現在)である為末大さんが登壇しました。まずは為末さんより、「身体の動きや使い方を通じて考える現実」についてレクチャーが行われました。
陸上競技において、タイムは1つの現実ですが、為末さんは引退する際に「記録は本当に確固たる現実なのだろうか」と疑問を持つようになったといいます。例えば、国内の男子100mでは、2017年に桐生祥秀選手が日本人初となる9秒台の記録を出すまで、長きにわたって「10秒の壁」を打ち破ることができていませんでした。桐生選手の前に最も9秒台に近づいたのは、1998年の伊東浩司選手による10秒00という記録。2017年までおよそ20年ほどは、10秒02や10秒03という9秒台に近い記録は出るものの、壁を超えることはできなかったのです。
ところが、桐生選手が9秒台に到達すると、国内でもわずか2年の間に9秒台の記録をたたき出した選手が4名も現れました。為末さんによると、このような統計的な偏りが強すぎる記録の出方は、陸上競技においてよく見られる現象なのだそうです。突出した記録を出す選手に引きずられて、記録の平均値が引き上げられたり、逆に悪い結果を出してしまった選手に引きずられて、記録の平均値が引き下げられてしまう。このような状況は、「引き込み」という現象がもとで引き起こされるのだといいます。「引き込み」とは、ある選手の動きのリズムに他の選手の体の動かし方が同調していく現象のこと。この現象はオリンピック選手はもちろん、小学生のかけっこ競技でも起こるものなのだそうです。
このような引き込み現象によって記録が左右されるのであれば、現実とは何なのだろうか。為末さんはこの問いをもとに、さらに話を深めていきました。
「イメージ」が身体の可能性を広げていく
スポーツ選手による記録へのチャレンジは、身体の限界へのチャレンジでもあります。それは、自分が気づいていない「思い込み」をどのように打破するかということであり、自分の現実と向き合うプロセスになる。陸上選手時代、コーチをつけずに自らをマネジメントしていた為末さんは、実感を込めてそのように語りました。
人間の体は1つの動きに定着しやすく、ある程度のレベルまで仕上がった選手になると、どのような練習をしても記録が変わらない時期が訪れます。そのとき、多くのスポーツ選手は自分の体に普段と異なる刺激を与えるなど、自分を揺さぶるような体験をあえて課すことがあるのだそうです。
また、人間の体は私たちが思う以上に、複雑な要素が絡み合って動いています。そのため、良い記録を出すためには、自分の外的環境について、「現実にはあり得ないものをイメージする」というやり方もあるのだと為末さんは語りました。
例えばハードル競技では、しっかりと地面を蹴り、ハードルを飛ぶときには足の裏を見せて、つま先を立て、勢いを殺さずに飛ぶのが良いとされています。ただ、人間は「しっかりと地面を蹴る」「足を突き出して飛ぶ」という2つの行動を同時に考えていると、体がぎくしゃくして上手く動けなくなってしまいます。そのため、ハードル選手へのアドバイスを行うときは「目の前に木の板がある。普通に蹴ると破れないが、思いっきり蹴ると破れるので、ハードルの上にある木の扉を破るように飛んでほしい」とイメージを伝えることがあります。すると、不思議なことにハードルに入るときの勢いが増し、良い動きができるようになるのだそうです。
このようなイメージを使った指導方法は、スポーツをはじめとして、身体を扱う世界ではよく使われる手法だといいます。「人間は外部環境に自分の体をあわせていくとき、一番自然に動けるのだと思う。だから、理想とする動きが自然に出やすいような外的環境を頭の中に描き、自分に思い込ませるということをやっていくのだ」と為末さんは語りました。
スポーツは、現実と空間の間をただよう“遊び”
話題はさらに、イメージトレーニングの話から、スポーツ選手としての意識の持ち方に移りました。
為末さんは競技と向き合う際、「本気で向き合いながらも、一方である種おままごとのような、バーチャルの世界である」という意識でいたほうが、選手として柔軟な状態を保てると語ります。スポーツ選手の世界には「考え始めの谷」という現象もあり、それまでは何も考えていなかった選手が、体の使い方などを改めて考え始めた際、頭と体が混乱しパフォーマンスが落ちるのだそうです。考えないなら、考えないままに競技に入ったほうが成績が良く、考えるなら考え尽くして本質をつかむと成績が出る。無意識の中で複雑に動いている身体について、意識のスポットライトを当てるのであれば、シンプルなロジックで考えることも大切なのです。
体の動かし方に意識のスポットライトを当てたことで、上手く動けなくなってしまった状態を「イップス」と表現することもあります。イップスになってしまった選手は、矛盾しているようですが、「考えないこと」を意識するのだそうです。それはある意味で、グッと集中した世界に入ることであり、為末さんも一時期スランプに陥った際、どうすれば余計なことを考えずに集中できるかを考え、仏教などの古くからある宗教が実践している方法について学んだこともあると語りました。
スポーツ選手には、生涯で数回しか体験できないという、強く集中している「ゾーン」状態が発生することがあります。この「ゾーン」に入っているとき、選手は不思議な時間・空間体験をしているのだそうです。例えば、時間の感覚が狂ってボールが止まって見える、自分の身体と外部環境の境界線があいまいになる、体が先に動いて意識が後からついてくるような感覚がするなど、人によってゾーン体験の内容が3種類ほどに分かれると為末さんは語りました。
レクチャーの最後に、為末さんはスポーツの定義について話しました。為末さんは引退後、さまざまな経験や思考を積み重ねてきた結果、「スポーツとは身体と環境の間で遊ぶこと」だと定義づけているといいます。身体と環境の相互作用の中で、自分が環境をコントロールしたり、環境の影響で自分が揺らいだりしながら、その作用を面白いと思って遊んでいく。現実と空想の間を漂っていくようなものが、スポーツなのではないかとまとめ、レクチャーを終えました。
為末さんが追究し、藤井教授が目指すもの
続いて、藤井教授と為末さんの対談に移りました。
藤井教授は「為末さんの身体で成功したやり方を他の選手にも伝達することで、記録が伸びたりするものなのか」と質問しました。為末さんは人間の体はブラックボックスのようなもので、意識と体の繋がり方にも個性があるため、自分のやり方で上手くいく人もいれば、そうでない人もいると回答。為末さん自身は共感性が強く、自分の体では引き込み現象も起こりやすいと分析しているそうです。
藤井教授は為末さんのレクチャーで「体の動かし方に意識のスポットライトを当てる」という話があったことを受け、自身の幼少期に自転車の乗り方をマスターした際の体験を共有しました。自転車をうまく乗りこなせない日々が続いた藤井教授は、ある時ふと、自転車にうまく乗っている子の乗り方を思い出して意識してみたところ、その瞬間に自転車に乗れるようになったそうです。
為末さんはその話に対して「おもしろい」と感想を述べながら、意識と体の動きの関係性の奥深さについて、体の動きを言語化できる選手とそうでない選手の成績には大きな差がないことに言及。体の理想的な動きを非言語のまま体得しながら、スポーツの世界に強く集中する「ゾーン」を再現性のあるものにできたら幸せなのではないかと考え、興味を持って追究しているのだと語りました。
そして、話題は「現実科学」の根本的な議論へと発展。テクノロジーによって現実がオーバーレイされていく中で、私たちはどう生きるべきかについて藤井教授と為末さんがそれぞれの意見を交わしました。為末さんはそのような中においては、「見えているものが現実だ」というスタンスと「見えているものは幻想かもしれない」ということを理解したスタンス、どちらの立場をとるかによってコミュニケーションの取り方は変わるのではないかと問題提起を行いました。藤井教授はその話を受け、「我々の『時間の流れ』は共通しているが、絶対的な1つの現実に収れんさせることはできない。それぞれの現実をリスペクトするような世界の理解の仕方をすることが、幸せにつながるのだと思う」と意見を述べました。
そして、藤井教授は最終的にデジタルテクノロジーを使って、例えば脳にデジタル情報が直接入ってくるような世界観を実現することで、豊かさをつくりたいと今後の展望を語りました。
為末さんにとっての「現実」とは?
最後に、為末さんにとっての「現実とは」をお伺いしました。
為末さんは現実の定義を
「身体」
だと語りました。陸上選手として、「自分の体が受け取っていること=現実」という実感を持って生きてきたという為末さん。「身体だけは、現実だと言えるのではないか」と、体ひとつで勝負する世界に身を置いてきた為末さんらしい定義をお伺いし、本日のレクチャーシリーズを終えました。