現実科学レクチャーシリーズ

Vol.25 長谷川眞理子先生レクチャー(2022/7/25開催)

デジタルハリウッド大学と現実科学ラボがお届けする「現実科学 レクチャーシリーズ」。

「現実を科学し、ゆたかにする」をテーマに、デジタルハリウッド大学大学院 藤井直敬卓越教授がホストになって各界有識者をお招きし、お話を伺うレクチャー+ディスカッションのトークイベントです。

Twitterのハッシュタグは「#現実とは」です。ぜひ、みなさんにとっての「現実」もシェアしてください。

概要

  • 開催日時:2022年7月25日(月) 19:30〜21:00
  • 参加費用:無料
  • 参加方法: Peatixページより、参加登録ください。お申込み後、Zoomの視聴用リンクをお送りいたします。
    視聴専用のセミナーになるので、お客様のカメラとマイクはオフのまま、気軽にご参加頂けます。

ご注意事項

  • 当日の内容によって、最大30分延長する可能性がございます。(ご都合の良い時間に入退出いただけます。)
  • 内容は予期なく変更となる可能性がございます。
  • ウェビナーの内容は録画させて頂きます。

プログラム(90分)

  • はじめに
  • 現実科学とは:藤井直敬
  • ゲストトーク:長谷川眞理子
  • 対談:長谷川眞理子氏 × 藤井直敬
  • Q&A

登壇者

長谷川 眞理子

総合研究大学院大学 学長
東京都出身。東京大学理学部生物学科卒。同大学大学院理学系研究科人類学専攻にて修士号取得。同博士課程単位取得退学。理学博士。タンザニア野生動物局、東京大学理学部人類学教室助手、専修大学助教授・教授、イェール大学人類学部客員准教授、早稲田大学政治経済学部教授を経て、現職。専門は、行動生態学、自然人類学。国家公安委員、新日中友好21世紀委員会委員などを歴任。おもな著書に『科学の目、科学のこころ』(1999)、『世界は美しくて不思議に満ちている』(2018)、『人、イヌと暮らす』(2021)など。

藤井直敬

藤井 直敬

医学博士/ハコスコ 代表取締役 CSO(最高科学責任者)
XRコンソーシアム代表理事、ブレインテックコンソーシアム代表理事
東北大学医学部特任教授、デジタルハリウッド大学学長補佐兼大学院卓越教授
1998年よりMIT研究員。2004年より理化学研究所脳科学総合研究センター副チームリーダー。2008年より同センターチームリーダー。2014年株式会社ハコスコ創業。
主要研究テーマは、現実科学、適応知性および社会的脳機能解明。

共催

現実科学ラボ
REPORT​

動物の種によって大きく異なる現実世界

今回のレクチャーシリーズに登壇いただいたのは、博士人材を育成する総合研究大学院大学・学長の長谷川眞理子さんです。長谷川さんのご専門は生物学の一分野である「進化生物学」。進化生物学は、共通祖先からの種の起源や進化を促すメカニズム、生物多様性などを扱う学問です。長谷川さんは現在、国内の子どもたちの追跡調査によって、「思春期」をキーワードとした人の進化と適応に関する研究を行っています。

まずは、長谷川さんより「現実」を考えるためのレクチャーが行われました。

生物学をベースに「現実とは何か」を考えるとき、参考になるのは、生物学者・ユクスキュルが提唱した「環世界(Umwelt・ウムヴェルト)」という概念です。「環世界」とは、「各生物がそれぞれの持つ感覚器官で認知・統合した世界」のこと。動物の種が異なれば、生きている世界の認識の仕方も大きく異なると考えるのです。長谷川さんはこのユクスキュルの概念をもとに考えると、「現実とは、それぞれの動物の種が感覚器官で認知し、脳内に構築しているイメージだと言える」と語ります。

一方で、私たちを取り巻く世界には「本当の自然世界」とも呼べるような、各動物が感覚器官でそれぞれに切り取っている可視光線、紫外線、電磁波、触覚、圧力などの情報をすべて統合した本来の姿もあるはずだと長谷川さんは話します。ただ、そのような「全体の現実」を把握できる動物はおらず、人間の言語をもってしても、実感を伴って「全体の現実」について語ることは難しいと続けました。

そして、同じ種の動物は、感覚器官から認知した同じ現実世界を持っているからこそ、触覚や鳴き声などによってコミュニケーションが成り立ちます。しかし、人間の場合は「言語」があるため、そのほかの動物とは少し異なる点があると長谷川さんは語ります。

私たち人間は「言語」を通じて世界を表現し、コミュニケーションを行います。感覚器官を通じて認知した「私の世界」を、言語を媒介として相手に届けようとするのですが、相手が私の発した言葉から「私の世界」を同じように受け取り、理解したとは限りません。例えば、自分が目の前にある赤いリンゴのことを「リンゴ」と発言したとき、それを聞いた相手も「赤いリンゴ」を思い浮かべるとは限りません。緑のリンゴや、皮がむかれてカットされたリンゴを想像するかもしれないのです。

人間は言語を通じて、多様な概念をうまく表してきました。そのことによって、建設的にさまざまなことを発展させ、今私たちが暮らしているこの世界が出来上がりました。「現実とは何か」を考える上では、この言語を通じた表象のやりとりも1つの概念として参考になるのではないかと長谷川さんは語りました。

「科学」の効用とは?

続いて、藤井教授との対談に移りました。

まずは、長谷川さんのキャリアに関連したテーマで意見交換を実施。専修大学や早稲田大学で「科学」に関する授業を受け持っていた際、長谷川さんはどのようなことを考えていたのかについてお話を伺いました。

長谷川さんは当時、文系の学生に対して教鞭を執っていたといい、「数字を見るのも嫌だ」というほど科学が嫌いな学生たちにどのように「科学」について伝えればいいのか、苦労しながら授業を進めてきたのだそうです。

藤井教授はその話を受け、「科学には未来をより予想しやすくなるという効用があるが、日本はまだ合理的に考えることが苦手な人が多い印象だ。昨今、研究者の雇止めといった話も聞くが、科学を学び、科学の思考法を身につけた人が身近に増えることで、日常生活にもおおいに変化が生じるのではないか」と語りました。長谷川さんも「ぜひそうなってほしい。研究経験のある方が、社会の中で科学マインドを忘れない人として活躍してくださったら嬉しい」と話しました。

テクノロジーの発展と「進化」

そして、話題は藤井教授の問いをきっかけに「進化の概念、考え方」へと移行。藤井教授は「人は進化の過程で環境改変を行える脳と身体を持つようになり、周囲の環境を変えることで生存確率を上げ、数が増えても暮らしていけるようになった」としながら、この100年ほどの間に起こったテクノロジーの発展と人間の進化の関係性をどう考えるべきか、長谷川さんに問いかけました。

長谷川さんは、たとえテクノロジーで身体能力の限界を超える行動(時速100kmで移動するなど)をしたとしても、それは遺伝的変容をもたらさないため、「生物進化」ではないと話します。もともと持っていた脳を駆使し、できることを増やしてきた人間の今日までの道のりは「文化進化」というのだそうです。「生物進化」とは、自然環境との関係の中で上手く生き残れたかという話であり、人間は自然の上に人工で文化環境をつくったことで、本当の自然環境との厳しい対決をしなくなりました。結果として、生き残れない個体が発生するような淘汰圧は弱まっていると長谷川さんは語りました。

藤井教授はその話を受け、「生物としての人間と社会的存在としての人間、2つの視点から未来の人間を考えたとき、文化的な存在としての進化はおおいにあるのだろうか」とさらに質問を投げかけました。

長谷川さんはここ数年で気づいた「人類の働き方の変容」に触れながら、「社会的存在、文化的存在としての人間は変わって良いのだと思う」と答えました。人類はおよそ200万年の歴史の中で、ほとんどの時代を狩猟採集で過ごしてきました。狩猟や採集で得た食料は保存することができないため、狩猟採集時代の人類はその日暮らし、計画を立てて勤勉に働くことはしていなかったそうです。しかし、約1万年前に農耕牧畜が始まると、その働き方は一変。食料を備蓄できるようになり、多くの食料をつくれば生活も豊かで楽になると分かった人類は、計画を立てて勤勉に働くようになりました。これは脳の報酬系が変わったことにより起きた、人間の行動変容なのだそうです。

自己抑制をしながら、良い暮らしを目指して懸命に働く。このスタイルは現代にも受け継がれていますが、進化生物学者の長谷川さんは、この働き方は「たった400~500世代」が続けてきたことで、まだまだ新しいものだと捉えています。藤井教授はこの話を受け、「現代は新しい変化の起きるフェーズなのかもしれない」と感想を述べました。

今、大学に行く意味を考える

話題はさらに発展し、「オンライン上でさまざまな学びができるこの時代に、大学に行く意味とは何なのか」について議論が交わされました。

長谷川さんは「大学に行く意味」を考えるとき、基本的に「リベラルアーツとは何か」ということに行きつくと話します。日本の大学は「すぐに役立つ知識や技術」の教育が求められることが多いものの、「大学」という機関は本来、そのような即戦力人材を育てる場所ではないはずだと話します。大学の起源は中世ヨーロッパ。ものを考え、議論したい若者が集まってできた組織が始まりだといわれています。大学で行うべきは、そのような「考えをぶつけ合い、議論する経験」を積むことであり、それこそがリベラルアーツの根本だと長谷川さんは考えているそうです。

深く議論する経験は、学生がその後の人生を彩り豊かに生きることにつながります。しかし、日本の大学では残念ながら、さまざまな意見・立場の人と深く議論する場が少なく、大学で学べることと学生のニーズ、社会のニーズの間に悪循環が起きていると長谷川さんは語りました。

藤井教授はその話を受け、「先端科学に取り組む大学もあるが、すべての学生が先端科学に触れなくても良いと考えて大丈夫だろうか」と問いかけました。長谷川さんはそれに対して「そのような考え方で良いと思う。さまざまな問題について専門家から教えを請い、自分たちはどう考えるかを議論し、思考を深めるのが大学だ」と話し、若者しか大学に行かない日本は世界的に見ても珍しいと感想を述べました。

藤井教授も自身のアメリカ時代の経験を振り返りながら、欧米のようなマルチトラックな人生は今後の日本社会に必要になってくるだろうと語りました。長谷川さんはその話を受け、日本でもようやく社会人が再び学べるような環境や制度を整える動きが増えてきており、社会が変わりつつあると述べ、本日の対談を終えました。

長谷川さんにとっての「現実」とは?

最後に、長谷川さんにとっての「現実とは何か」をお伺いしました。

長谷川さんは本日のレクチャ―の内容をふまえながら、

「その種類の個体がお互いに共有している世界像」

と答えました。

感覚器官によって認知できる範囲の中で、その種が共有している世界が現実なのではないか。生物学の観点から興味深い現実の定義をお伺いし、本日のレクチャーシリーズが幕を閉じました。