現実科学レクチャーシリーズ

Vol.24 布施英利先生レクチャー(2022/6/30開催)

デジタルハリウッド大学と現実科学ラボがお届けする「現実科学 レクチャーシリーズ」。

「現実を科学し、ゆたかにする」をテーマに、デジタルハリウッド大学大学院 藤井直敬卓越教授がホストになって各界有識者をお招きし、お話を伺うレクチャー+ディスカッションのトークイベントです。

Twitterのハッシュタグは「#現実とは」です。ぜひ、みなさんにとっての「現実」もシェアしてください。

概要

  • 開催日時:2022年6月30日(木) 19:30〜21:00
  • 参加費用:無料
  • 参加方法: Peatixページより、参加登録ください。お申込み後、Zoomの視聴用リンクをお送りいたします。
    視聴専用のセミナーになるので、お客様のカメラとマイクはオフのまま、気軽にご参加頂けます。

ご注意事項

  • 当日の内容によって、最大30分延長する可能性がございます。(ご都合の良い時間に入退出いただけます。)
  • 内容は予期なく変更となる可能性がございます。
  • ウェビナーの内容は録画させて頂きます。

プログラム(90分)

  • はじめに
  • 現実科学とは:藤井直敬
  • ゲストトーク:布施英利氏
  • 対談:布施英利氏 × 藤井直敬
  • Q&A

登壇者

布施英利

布施 英利

解剖学者・美術批評家
東京藝術大学美術学部 教授/デジタルハリウッド大学 客員教授
1960年群馬県生まれ。東京藝術大学美術学部卒業、同大学院美術研究科博士課程(美術解剖学専攻)修了。学術博士。大学院生のとき、恩師・三木成夫の紹介で養老孟司と出会い、27歳で養老との共著『解剖の時間』を出版。東京大学医学部助手(解剖学)として養老の下で研究生活を送った。主な著書に『脳の中の美術館』(ちくま学芸文庫)、『子どもに伝える美術解剖学』(ちくま文庫)、『人体5億年の記憶 解剖学者・三木成夫の世界』(海鳴社)など。美術批評の著作に、『ダ・ヴィンチ、501年目の旅』(インターナショナル新書)、『洞窟壁画を旅して』(論創作社)、『構図がわかれば絵画がわかる』『色彩がわかれば絵画がわかる』『遠近法彩がわかれば絵画がわかる』(以上、光文社新書)など、多数。解剖学をベースに芸術と科学の交差する美の世界を探究。

藤井直敬

藤井 直敬

医学博士/ハコスコ 代表取締役 CSO(最高科学責任者)
XRコンソーシアム代表理事、ブレインテックコンソーシアム代表理事
東北大学医学部特任教授、デジタルハリウッド大学学長補佐兼大学院卓越教授
1998年よりMIT研究員。2004年より理化学研究所脳科学総合研究センター副チームリーダー。2008年より同センターチームリーダー。2014年株式会社ハコスコ創業。
主要研究テーマは、現実科学、適応知性および社会的脳機能解明。

共催

現実科学ラボ
REPORT

クールベが絵にした現実の世界とは

今回登壇いただいた布施さんは、美術と解剖学がご専門です。どちらの学問も、視覚の情報が大切な世界。本日のレクチャーシリーズは「物を見るときのリアルとは何か」を主なテーマとして話を進めました。

布施さんが最初に語ったのは、「美術における現実の表現方法」についてです。

美術の分野には、「リアリズム(写実主義)」という現実の現象を可能な限りそのまま描こうとする表現方法があります。代表的な画家は、19世紀に活躍したギュスターヴ・クールベです。19世紀の絵画といえば神話や聖書をもとに絵を描くことも多かった中で、クールベは「私は天使を描かない、なぜなら天使を見たことがないからだ」という有名な言葉を残し、現実の世界を絵の中にそのまま切り取ろうとした人物でした。

クールベの代表作は、山奥の田舎町の葬儀を描いた『オルナンの埋葬』と自身のアトリエ内を描いた『画家のアトリエ』です。彼はこの2作をほかの作品とともにパリ万博に出品しようとしましたが、当時の主流からずれていたこともあり、クールベの作品のみが落選。この結果に反発したクールベは、会場前の広場に独自の小屋を建て、個展を開催しました(芸術家の個展開催はこのときが世界でも初めてのことだと言われています)。

会場となった小屋に書かれていたのは、「リアリズム」という言葉。「現実に見たものだけを作品にしたい」と考えていた、クールベならではのエピソードです。

セザンヌが描く究極のリアリズム

ただ、布施さんによるとクールベのリアリズムは「絵画としては弱い」と語ります。布施さんはポール・セザンヌこそ、究極のリアリズムを体現した画家だと考えているそうです。

セザンヌの絵は、正面から見ると構図が狂い、物の形が歪んでいたり、色がきちんと塗れていなかったりするように見えます。しかし、絵を見る角度を変えてみると、全く違った表情を見せるというのです。

例えば、セザンヌの描いたこちらの絵は、正面から見るとテーブルの輪郭が歪み、人物の位置も右に大きく偏っているように見えます。

しかし、右側から絵を見てみると、手前の人物が非常に大きくなり、奥行きが表れてきました。

これを左側から見てみると、今度は逆に人物の大きさは同じように見え、右側から見た時とは異なる空間を感じることができます。

このような見る角度によって見え方が変わる表現方法は、鑑賞する人を驚かせる目的で絵画に使われることはありましたが、セザンヌの場合は人間が実際に見ている世界を忠実に描こうとした結果、完成した表現です。1つの絵画の中に複数の「世界の見え方」を入れ込んだ点に違いがあります。

セザンヌは目の前の風景を複数の視点から観察して、絵の中に表現しようとしてきました。「デッサンに歪みがある」ように見える箇所は、ある角度から見るとその狂いが完全に補正され、正確な世界を映し出します。

現実の世界で物を見たとき、見る角度を変えると物の輪郭や大きさが変化するのと同じような現象を、絵画の世界に閉じ込めることに成功したセザンヌ。布施さんによれば「絵画の歴史1万年の中の逸材」という評価に値するといいます。

優れた画家の「世界を捉える目」は360度カメラを超える

「世界において最も大切なのは深さだ」と語った通り、人間が見ている世界の深さを絵画の中に描こうとしたセザンヌ。彼の絵画表現は、現代の360度カメラよりも優れたことを行っているのかもしれないと、布施さんは藤井教授との対談の中で語ります。

360度カメラは複数のカメラを用いて世界を切り取り、奥行きのある画像をつくりますが、そこには「物質の重み」は表現されません。私たちは現実の中で、視覚と触覚を統合させながら「物の立体感」を把握しています。だからこそ、ハイビジョンといった高精細な映像をもってしても、現実をよりリアルに表現することにはつながらないのだと布施さんは語ります。

人間の両目の視差が生む遠近感や、目の前の景色と記憶の景色の混同など、人間にとっての現実が持つさまざまな「ズレ」を筆と絵具を使って表現したセザンヌの凄さを、布施さんは対談の中で確認しました。

ここで藤井教授がフォトグラメトリの話題に触れました。フォトグラメトリでは、撮影され写真を自由視点でCGモデルが作成されます。近年はAIによって撮影できなかった部位を補完するものもあり、藤井教授は「これこそ自分のやりたかったことだし、人類が向かうべきところだと思った」と語りました。

AIが映像を補完して、現実の世界を見せる。これは人間が脳で行っている働きと同じです。藤井教授は「この視覚を補完する行為を、セザンヌは絵画という平面で行ったと言える」と話しました。

布施さんはこの話を受け、「藤井教授が理想としている技術は、彫刻的な世界の見方と似ている」と語ります。彫刻家は作品を作る際、平面的に見えているものだけを表現するのではなく、常に後ろ側がどのようになっているのかを想像しながら制作しているのだそうです。

実存や感動、優れた芸術作品が持つ要素

藤井教授は「セザンヌが試みてきた世界の切り取り方を、私たちはスマホでできるようになった。これからの時代における『新しい表現』はどのようになるのだろうか」と、布施さんに問いかけます。

布施さんは驚くような表現の先に「この世界は美しい」「世界は面白い」という感動があるか、そして「何度見ても、いつまで見ていても飽きない」かどうかが、芸術か否かの境目になると語りました。明治時代に高橋由一は鮭を油絵で描きましたが、鮭がぶら下がっている何の変哲もない風景でも、人々は未だに新鮮な感動を覚えます。フォトグラメトリで撮影した映像も、このような視点から捉えたときに「おもしろい」と感じるものは、将来的に芸術作品になっているのかもしれません。

藤井教授はここで話題を変え、解剖学者としての一面も持つ布施さんに「死者と向き合って見えてきた現実観はあるか」と問いました。

布施さんは「死体の問題はデリケートな部分がある」としながら、解剖をしているとき、目の前の遺体は「肉」として捉えている部分があり、「見えていなかったものがある」と語ります。だからこそ、解剖をしているときではなく、全くの無防備な状態で出会った自殺の現場で「むき出しのリアル」に出会ってしまったのだそうです。

その体験とは、ある夏の猛暑日に自殺の現場に遭遇してしまったこと。このとき、特に恐怖などの感情は湧かない代わりに、亡くなった方の姿や周囲の光景が頭に焼き付けられ、今でもその様子をありありと思いだせるのだといいます。

この経験を解剖学者の養老先生に話したところ「それを実存というのだ」と教えてもらったといい、世界のそのままのリアルさに出会ってしまった体験は自身を形成する要素の一つになっているかもしれないと語りました。

絵画を見た際、むき出しの現実に直面したような感覚になることがあります。優れた芸術作品は、この「実存」を持っているのかもしれないと結論付け、布施さんと藤井教授の対談が終わりました。

布施さんにとっての「現実」とは?

最後に、布施さんにとっての「現実とは何か」をお伺いしました。

今回、布施さんは現実の定義を一言でまとめることはせず、答えを視聴者にゆだねました。「いただいた1時間半の中で、現実について考えるための要素やヒントを十分に語ったと思う。私の話をもとに、ぜひ各自で『現実とは何か』を考えてほしい」と話し、本日のレクチャーシリーズが終了しました。