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設立趣意書 V.2 / 平易版

(仮称)
現実科学研究所 設立趣意書

Reality Science Institute
設立予定 2026 . 07 / 学長 藤井直敬

はじめに

現実は小説より奇である。
現実がフィクションよりつまらない時代は終わった。テクノロジーは現実とフィクションの間を連続したスペクトラムでつなぎ、すべてを現実に引き寄せてしまう。そのような新しい現実に向かいあって生きていく我々には、それを前提とした哲学・サイエンスが必要である。現実科学はそのための科学である。ヒトの主観、すなわち脳によって構築される個々人の現実を科学するための手法を構築し、社会実装のための応用を目指す。本研究所は、そこに一つの仮説を持ち込み、その手段を様々な角度から探求します。

現実は、編集できる。
それをどう見せるのか、どう見るのか。

「現実科学」を起点に、デジタルハリウッド大学に設立された本研究所は、理研コンツェルンをモデルとし、新しい価値を生み出す産官学連携の実験場を目指します。
学長 藤井直敬が掲げる新ミッション「世界を満たせ」は、創立精神「すべてをエンタテインメントにせよ」を継承しながら、その領域を人間の可能性そのものへ広げます。

研究者・クリエイター・行政が一つのテーブルに集い、多様なコミュニティやプロジェクトとの連携を通じて、「現実編集」のあり方をカバーしていく。10年で「未来をつくる知のインフラ」となり、意思と責任を軸に、自分の現実を編集する人々の連鎖反応を世界に広げていく ― それが本研究所の挑戦です。


序章

2018年8月、僕は杉山知之前学長に誘われて、デジタルハリウッド大学で教鞭を取ることになった。

10月に行われた初回特別講義のタイトルは「Reality Science」。翌2019年からは「現実科学」をベースとした「先端科学原論」という講義と「現実科学ラボ」という修了課題指導が始まった。
杉山先生は「先端科学原論」8回の講義すべてに出席され、「ようやく我が校にも『現実科学』という、僕らの学問が誕生したのだ」と涙ながらに喜んでくださっていたという。僕はこの話を聞き、自分の使命は「現実科学」という学問を、デジタルハリウッド大学独自のものとして花開かせることだと確信した。

それから8年、現実科学とはなにかについて考え続け、杉山先生から学長を託されたことを機に、「現実科学」を冠とした研究機関「現実科学研究所」を開設することとした。

参考)
藤井直敬氏が専任教授に就任。特別講義開催|デジタルハリウッド大学大学院
杉山先生のコメント(Facebook)

第1章 はじめに ― 現実科学を中核とする産官学連携拠点の構想

1.1 共同幻想が機能を失った時代の風景

朝起きてニュースを見れば、戦争、AI の急進、不安定な経済 ― 昨日まで信じていた「正しさ」が、今日は通用しない。SNSを開けば、同じ出来事についてまったく違う解釈が並んでいる。会社では世代によって価値観が噛み合わず、家族のあいだですら共通の「常識」が薄れていく。万人共通の正しさが失われている。

こうした時代に、「自分一人に何ができるのか」と立ち止まってしまうのは、自然な反応かもしれません。多くの人が、見えない無力感のなかで一日を終えています。

しかし、本当にそれで良いのでしょうか。

1.2 「答えがない」を「絶対的な自由」へ反転させる

「答えがない時代」は、見方を変えれば「自由な時代」でもあります。

誰かが決めた正解に従う必要がない。会社の常識、業界の慣習、世代の物差し ― これらが揺らいでいる今こそ、自分のやり方で何かを始められる絶好のタイミングです。

ただし、自由は勝手に降ってくるものではありません。すでに目の前にあっても、自分から掴みに行かなければ通り過ぎてしまう。しかし「自分のやり方で世界に何かを残したい」と思った瞬間に、自由は手の中にあります。

本研究所は、そうした新しい知に「手を伸ばす」「体験する」「循環させる」場として設計されています。

1.3 現実科学を中核とする産官学連携拠点として

デジタルハリウッド大学は 1994 年、「すべてをエンタテインメントにせよ」を掲げて創立されました。デジタル技術で人を解放し、感動を生み出す ― この精神を、当大学は 30 年以上、クリエイター・起業家・研究者の育成を通じて守ってきました。

そして今、創立から 30 年余を経て、時代は再び大きく動いています。生成 AI、XR、脳科学が「人間にしかできない」こと、つまり私たちの存在意義を書き換え、地政学的な分断は「共通の現実」を揺るがしています。だからこそ私たちは問い直します ― この大学は、これから何を作り、何を学び、何を社会に届ける場なのか。

学長 藤井直敬が掲げる新しいミッションは「世界を満たせ:Fill the World」。あなたの可能性で、世界に新しい価値を増やしていく ― これを呼びかけとして、デジタルハリウッド大学に 現実科学研究所 を設立します。

現実科学研究所は、藤井直敬が提唱する「現実科学」を中核に置きます。「現実は変えられる」「世界は自分の力で満たせる」という考え方を、研究者・クリエイター・産業界・行政が一つのテーブルで実践する場です。MIT メディアラボのような領域横断型の実装拠点を参照しつつ、日本のクリエイティブ産業と地続きの現場性を持つことが、本研究所の独自性となります。

本趣意書は、この研究所の思想・ミッション・プロジェクト・実装計画をお伝えし、関係各位のご賛同とご協力をお願いするものです。


第2章 思想的基盤 ― 現実科学

2.1 現実は私たちの内部に立ち上がる

同じ会議に出ていたのに、後から振り返ると人によって「何があったか」がまるで違う ― そんな経験はありませんか。

脳科学の研究によれば、私たちの脳は世界を客観的に受け取っているわけではありません。過去の経験からつくった予測モデルをもとに、世界がどう見えるかを能動的に組み立てています。だから同じ場にいた二人が、まったく違う「現実」を生きていても不思議ではありません。

それなのに、私たちは「現実は誰にとっても同じはず」という前提で議論し、すれ違い、疲弊しています。この前提が成り立った時代もありました。しかし価値観が多様化し、世代・文化間の分断が深まる今、その前提だけで世界を理解するのは無理があります。

現実科学は、「現実は人によって違う」という当たり前の事実を直視し、それを扱える知として体系化する試みです。

2.2 一切皆空・一切皆楽

藤井の考え方の根本には、「一切皆空・一切皆楽」という古くて新しい原理があります。

「一切皆空」とは、固定して見える物事も実は瞬間ごとに変わり続けている、全ては関係性で成り立っているという見方です。仕事の役割、人間関係、自分らしさ ― 揺るぎないと思っていたものも、文脈次第で姿を変えます。最新の認知科学や物理学も、この見方と矛盾しません。

ここで多くの人は虚しさを感じるかもしれません。しかし現実科学はそこを反転させます。固定されていないからこそ、あらゆる瞬間に自分の手で現実を組み直せる。痛みも、関係も、未来も。これが「一切皆楽」 ― 自由に編み直していい、楽しんでいい、創ってよいという肯定です。

デジタルハリウッドの創立精神「すべてをエンタテインメントにせよ」は、まさにこの肯定の現代版です。世界は固まったものではなく、つくり替えていけるもの ― この立脚点が、創立以来の DNA として今に続いています。

2.3 意識と無意識のあいだ ― 創造的自由の場所

神経科学はおもしろい事実を明らかにしています ― 私たちが「自分で決めた」と思う判断のほとんどは、意識化される前に無意識の階層で準備されています。意識は後から「私が決めた」と意味づけているにすぎません。

「じゃあ自由意志なんてないのか」と思うかもしれません。しかし現実科学は、ここで諦めません。

意識は無意識に直接命令できなくても、観察し、気づき、わずかな調整を加えることはできます。これが「自分を変える」の正体です。無意識の存在を意識すること。意識と無意識が押し合うのではなく協働して現実を組み直す ― この小さな往復こそ、人間に残された創造的な自由です。

私たちは普段、「こうあるべき」という思考のクセと、反射的に出る行動のクセに縛られて、同じパターンを繰り返して生きています。現実科学が提案するのは、このクセを断ち切ることではなく、意識的に観察できるようにし、少しずつ方向性を変えていく訓練です。

2.4 現実を更新する勇気 ― 凍結した自己定義を解く

霊長類の研究はおもしろいことを示しています ― 群れの中の上下関係は「性格」で決まっているのではなく、状況に合わせて瞬間ごとに変わる社会的な「役回り」です。下位の役をうまく演じられるサルほど、文脈に敏感で知性が高い。社会的な文脈は複雑で、それに対する適応的な行動には高い知性が要求されるからです。そして役は流れに応じて変わります。

人間が不幸になりはじめるのは、しばしばこの逆です。「私はこういう人間だ」「この立場では絶対こうあるべき」と自分の可能性を閉ざし、文脈が変わっても行動を更新できなくなる ― そのとき、世界は息苦しいほど硬直します。

現実科学が提案するのは、その呪いを解くことです。「これは自分だ」「これが正解だ」と思っているものを、いったん「いまの仮の姿」として見直してみる。次の手を選び直す余地を、自分のなかに残しておく。

これは無理に頑張ることでも、自分を捨てることでもありません。「条件を丁寧に見直したうえで、必要なときだけ軽く外せる」しなやかさを取り戻すことです。

この「現実を編集し更新する勇気」こそ、現実科学が幸福の最小単位と呼ぶものであり、レジリエンスの本質でもあります。そしてそれは、個人だけでなく、組織や産業、社会のあらゆるスケールに応用できる基礎体力です。

2.5 現実編集 ― 哲学から方法論へ

ここまでお話ししてきた「現実は変えられる」という認識を、ひとつの実践として一言にまとめた言葉が、本研究所が旗印に掲げる 現実編集 です。

現実編集とは、「動かない」と思い込まれてきた前提や境界を、意識的に見直し、別のかたちへと組み直す実践です。自分自身の生き方、チームのルール、会社の仕組み、社会の合意、文化のパッケージ、産業の構造 ― どのスケールでも起こりえます。

これまで一部の天才や名匠が直感で行ってきたこの編集を、誰もが学び、実践出来る技術へと引き上げる ― これが現実科学研究所の挑戦です。

具体的には、研究・教育・社会実装の三つの軸で、現実編集を実践と学びの両面から展開します。次章以降で示すように、その場として選ばれるのが、研究者とクリエイター、行政が同居するデジタルハリウッド大学の現実科学研究所なのです。


第3章 ミッションとビジョン

3.1 ミッション「世界を満たせ:Fill the World」

本研究所のミッションは、「世界を満たせ:Fill the World」です。

このミッションは、自分自身を満たすためのものではありません。自分のなかにある可能性、まだ世界に存在していない現実の色彩を ― 作品として、サービスとして、システムとして、コミュニティとして ― 世界に実装し循環させていく。それによって世界に新しい価値、新しい色、新しい現実を増やしていくことを意味します。

世界はまだ完成していません。だからこそ、人間の創造性には意味があります。そして、創造性が個人の内側にとどまっているかぎり、それは世界には何も加えません。テクノロジーで、アートで、ビジネスで、教育で、研究で ― どんな手段でも、構築した現実を「外」へ実装した瞬間に、それは世界を満たす一片となります。

「世界を満たせ」は、個人の挑戦ではなく、連鎖反応の宣言です。誰か一人の作品が誰かの希望と未来になり、それがさらに次の誰かの現実を更新し、その更新が世界の見え方を編み直していく。本研究所は、この連鎖反応を組織的に生み出す場として設計されます。

3.2 杉山時代「すべてをエンタテインメントにせよ」からの継承と拡張

1994 年に始まったデジタルハリウッドの第一の時代 ― 創立者・杉山知之による「杉山時代」― は、「すべてをエンタテインメントにせよ」という一語に要約されます。日常も、教育も、ビジネスも、テクノロジーも、すべて創造的で楽しい体験として再構築する。デジタルで人を解放し、感動を届ける。この精神は 30 年以上、当大学の根幹として、日本のデジタルクリエイティブ産業の血脈をつくってきました。

2026 年に始まった新しい時代、藤井時代の「世界を満たせ」は、この精神を継承し、拡張するものです。

エンタテインメントとは、第2章で述べた「一切皆楽」の現代的な翻訳です。世界は固定された実体ではなく、いつでも再構築できる。ならば、私たちはそれを楽しい、豊かな、心を動かすものとして構築すべきだ。この構えはそのまま受け継がれます。

そのうえで「世界を満たせ」は、エンタテインメントの領域を「人間の可能性を拡張する知」「世界の見え方を編み直す力」へと押し広げます。コンテンツやサービスを楽しくするだけではない。教育、医療、労働、ガバナンス、研究、外交などの人間の現実感覚に関わるあらゆる領域で、現実を編集し、新しい色彩で実装し、豊かさを世界に届けていきます。

第一の時代がデジタルクリエイティブ産業の血脈をつくったように、新しい時代は「現実編集産業」とも呼ぶべき新しい産業のエコシステムをつくっていきます。本研究所は、その継承と進化を同時に担う実装拠点です。

3.3 10年ビジョン ―「未来をつくる知のインフラ」へ

本研究所が 10 年後に到達すべき姿を、ここに明示します。

2036 年、デジタルハリウッド大学は「未来を学ぶ学校」から「未来をつくる知のインフラ」へとその社会的認知を転換させている。「次の時代を考えるならデジタルハリウッド」という想起が、産業界・学術界・行政・国際コミュニティの共通言語となっている。

具体的には、本研究所が 10 年かけて達成する四つの姿を描きます。

第一に、AI 時代の創造性を定義する機関となること。生成 AI が「人間にしかできないこと」を書き換えつつある時代に、創造性とは何かを問い直し、その答えを実装可能な知として社会に提示します。

第二に、アカデミア・クリエイター・ビジネスの交差点となること。研究者と表現者と事業家が同じテーブルに座り、共通の言語で現実編集を語り、共同で社会実装するハブとして機能します。

第三に、人間可能性研究の社会実装拠点となること。脳科学・XR・AI・ブレインテック・現実科学を統合的に扱い、研究を研究で終わらせず、産業と社会へ届ける装置となります。

第四に、日本発のグローバル Creative Intelligence Hub となること。日本独自の精神性とクリエイティブの蓄積を、世界の研究機関・産業・大学と接続し、世界における「現実編集の発信地」としての位置を確立します。

これらは 10 年後の到達点であると同時に、本研究所が日々の判断のなかで参照すべきイメージです。


第4章 DHU が世界唯一の実装場である理由

4.1 研究者とクリエイターが同居する希少性

世界には優れた研究機関がたくさんあります。MIT メディアラボ、スタンフォード d.school、ETH Zürich、東京大学先端科学技術研究センター。 それぞれが領域横断と社会実装を掲げています。

しかし、研究者とクリエイター 、つまり 産業の現場で作品とサービスを生み続けるプロのつくり手 が、同じ屋根の下に常駐している場は、世界に数えるほどしかありません。

デジタルハリウッド大学は、その希少な場の一つです。設立以来 30 年余、研究者・教育者・実務家・アーティスト・起業家を同時に擁し、論文と作品の両方を世に送り出してきました。学生は在学中から作品を発表し、卒業生は日本のデジタルコンテンツ産業の中核を担っています。

現実科学のような新しい考え方を社会に届けるとき、研究だけでは届きません。理論を語る人と、それを実際に形にする人が同じ場にいて、互いの言葉を翻訳し合えるとき、はじめて新しい考えが産業や社会に届きます。

現実科学研究所が、他の研究機関でも企業 R&D でもなく、デジタルハリウッド大学のなかに置かれる理由は、ここにあります。

4.2 三つの行動指針 ― 意志と責任を貫く軸

藤井が新たに掲げるデジタルハリウッドの三つのバリュー(行動指針)は、本研究所の運営原則でもあります。

信頼から始めよ。自分を信頼し、仲間を信頼し、未来を信頼する。共同幻想が崩れた今、信頼は自動的に与えられるものではなく、自分から選び取って始める態度です。未知の領域へ一歩踏み出すための勇気は自分への信頼から生まれます。仲間を信頼することは、不確かな状況のなかで自分の判断に責任を持ち、相手の判断を尊重する意志の表明です。

科学的に生きよ。仮説を立て、つくり、検証し、更新し続ける。研究室の作法を、日々の仕事や生き方にも持ち込む。仮説には意志が必要で、検証には責任が伴います。

プロフェッショナルたれ。自己満足ではなく、受け手のことを考え、最後までやりきる。自分の作品が誰かの世界に影響することへの責任を引き受けるという意味です。

この三つを通底する一つの軸が、本研究所が特に強調したい姿勢です。それは意志と責任

現実は編集できる。だからこそ、編集する意志を持ち、編集した結果に責任を引き受ける。意志のない自由はその場限りの現実をもたらし、責任のない編集は自他の現実を傷つけます。意志と責任の二本柱が、本研究所のあらゆる活動の土台となります。

4.3 「すべては実験である」というカルチャー

研究者とクリエイターが同居し、信頼・科学・プロフェッショナリズムを共通言語にする場には、自然と一つの文化が立ち上がります 、それは すべては実験である という構えです。

教育のかたちを実験する。授業のフォーマットを実験する。学生の作品を実験する。教員の組み合わせを実験する。企業とのコラボを実験する。仮説を立て、小さく試し、観察し、更新する。完成度よりも、動かせるスピードを優先する。

本研究所は、この文化を増幅させる装置です。論文と作品の両方を成果として認め、失敗を恥ではなく研究素材として扱い、境界を越える試みを応援する。「実験すること」そのものを、産学連携の中心活動として位置づけ直す 。これが、本研究所を単なる「研究の出口」ではなく「実験場」として設計する理由です。


第5章 研究所の位置づけと役割

5.1 新ミッションの実装インターフェース

ミッションは、学長室の宣言だけでは社会に届きません。

具体的なプロジェクトに翻訳し、外部のパートナーと一緒に走らせ、成果を見える形にし、次の挑戦に再投資する ― この循環があってはじめて、ミッションは社会のなかで動き始めます。

現実科学研究所は、藤井が掲げる「世界を満たせ」を、その循環の中心で回す 実装インターフェース として機能します。

5.2 産学連携の再定義 ― 教育と社会の境界を操作する実験場

これまでの産学連携は、「大学のシーズを企業の商品開発に応用する」という一方向の枠で語られがちでした。本研究所は、そこを更新します。

産学連携とは、大学と社会・産業のあいだにある 境界そのものを意識的に操作する行為 です。

学生の作品をそのまま社会に出してみる。企業の課題を学生と教員の研究テーマにする。研究者とクリエイターと事業家が同じプロジェクトで意思決定する。

これらはすべて、既存の境界線をいったん解体し、別の引き直し方を試す実験です。現実科学の言葉でいえば、「教育」と「社会」という二つの予測モデルを、揺るぎない前提として固定せず、編集できる動的な構造として扱う実践です。

本研究所は、この境界操作を組織的・継続的に行う日本初の場として位置づけられます。

5.3 研究・実装・教育・発信の循環構造

本研究所は、四つの機能を一つの循環として運営します。

研究:現実科学を中核に、脳科学・XR・AI・ブレインテック・哲学・社会学・芸術理論を統合した学際研究を行います。論文・特許・白書として知を生み出します。

実装:研究成果と現場の課題を結びつけ、産業界・行政・市民社会との共同プロジェクトを進めます。プロトタイプ・サービス・コンテンツ・制度として、知を社会に届けます。

教育:研究と実装の現場を、学部・大学院のカリキュラム、社会人向けリカレント講座、企業内研修、高大連携プログラムへと展開します。次世代の「現実編集者」を育てます。

発信:知と実践を、出版・レクチャーシリーズ・国際カンファレンス・メディアを通じて開きます。コミュニティを形成し、共感者と協働者を世界中から集めます。

この四機能は、独立した部門ではなく、循環するエコシステムとして運営されます。発信が共感者を集め、共感者が実装の現場を生み、実装が新しい研究課題を生み、研究が教育を更新し、教育が次の発信を生む。この循環の速度と質を最大化することが、本研究所の最も重要な責務です。


第6章 現実編集 共創プロジェクト

本研究所が立ち上げ時から取り組む5つの旗艦プロジェクトを、ここに紹介します。それぞれが 異なる現実編集の領域で、多様なポートフォリオを構成します。

6.1 Pop Power Project(PPP)― 文化スケールの現実編集

ポップカルチャー(アニメ・マンガ・ゲーム・音楽・キャラクター)は、産業規模で行われてきた「現実編集」の最も成功した例です。クリエイターが構築した主観的世界を、コンテンツというパッケージに実装し、流通させる。その国内ポップカルチャー分野全体の活性化、国際化を図ることを目的として2025年に発足した団体がPop Power Project(PPP)です。

本研究所は PPP の事務局を担い、日本のコンテンツ産業の結節点として貢献します。クリエイター・配給・テック・脳科学・哲学などの他分野の知を一つのテーブルに集め、コンテンツ産業を「現実編集産業」という視点で再定義する。同時に、日本のクリエイターたちが編集した新しい現実を、世界を満たすコンテンツとして流通させ、 日本のコンテンツ産業を発展させます。

6.2 シンギュラボ連携 ― 創発スケールの現実編集

スペースデータ社が主催するシンギュラボは、研究者・起業家・アーティスト・市民が境界を越えて集まり、ボトムアップで課題を発見し解決する創発的なコミュニティです。本研究所はこのコミュニティと連携し、研究機関の知と、コミュニティの即興力を接合します。

トップダウンの「正解」を疑い、現場の個別主観から立ち上がる解、つまり現実科学が描く「意識と無意識のあいだのダイナミクス」を社会規模で再現する試みです。研究者だけでも、コミュニティだけでも到達できない解が、両者の境界を意識的に操作することで立ち上がります。

権威主義国家による戦争と分断が深まる時代に、「自分の現実を自分で定めて構築し続ければ、必ず外に伝わる」という現実科学の主張を、コミュニティ規模で実証する場となります。

6.3 能動的セキュリティ学 ― 境界スケールの現実編集

デジタルハリウッド大学・田中悠斗特任教授が中心となって立ち上げる「能動的セキュリティ学」は、サイバーセキュリティ研究の新しい地平を拓くプロジェクトです。「攻守両面を知らずして防御は無理」という命題は、現実科学の核心と完全に重なります。

防御だけでは予測モデルは硬直し、世界は固定化します。攻守両面から自分が無自覚に守ってきた現実の輪郭を、見直すこと。つまり「現実を定義し直す勇気」を技術として身につけることです。

本研究所は、日本のサイバーセキュリティ研究開発のハブとして発展させると同時に、その方法論をセキュリティに留めず、組織・制度・自己定義の硬直を解く一般的な現実編集技術として横展開します。

6.4 雨にも負けず高校連携 ― 自己スケールの現実編集

2027年4月開校予定の「雨にも負けず高校」のレジリエンス教育と、デジタルハリウッド大学を高大連携で接続します。15〜18 歳という、最も自己定義が硬化しやすい時期に、可動域を保ったまま大人になる訓練を提供する ― これがこのプロジェクトの目的です。

レジリエンス教育を現実科学の視点で再定義すると、それは「逆境への耐性」ではなく「自己定義を常時更新し続ける力」になります。一つの方策に縛られず文脈に応じて役割を変えられる柔軟さは、弱さではなく高度な知性です。人が不幸になるのは、一時的な方策を「自分はこういう人間だ」と凍結させてしまうからです。

本連携は、現実科学を「大学院・研究の言葉」から「10 代に届く生きる技術」へと翻訳する場であると同時に、高校と大学の境界そのものを操作対象として扱うことで、本研究所が掲げる「境界操作の実験場」を教育機関間で実証する場でもあります。

6.5 デジタルヘルス学会 ― 医療の境界をあらためて見直す

デジタルハリウッド大学大学院を一つの起点として始まったデジタルヘルス学会をリブートします。デジタルヘルス学会は、デジタル技術を用いてこれまでの医療のあり方を拡張する医療関係者が集う団体です。

医療の接点、例えば医療情報の取得、医療を受ける、相談するなど、様々な医療サービス提供者と受容者の境界を見直し編集することで、医療の新しい形や価値を探ります。


第7章 ステークホルダーへの意義

本研究所の設立は、関係するみなさんにどのような価値をもたらすか。ここに翻訳してお伝えします。

7.1 産業界へ ― 現実編集産業という新しい産業圏

XR・ブレインテック・生成 AI・コンテンツ産業はもちろん、医療・教育・労働・都市・観光・ガバナンスなど、人間の現実感覚に関わるあらゆる産業に対して、本研究所は「現実編集」という共通言語と方法論を提供します。

研究者の知と、現場の課題と、クリエイターの実装力を一つのテーブルに集めるハブとして機能することで、産業界は単独では到達できない次世代サービス・プロダクト・体験を共同で生み出すことができます。短期的には共同研究と PoC、中期的には新規事業創出、長期的には「現実編集産業」という新しい産業圏の形成への参加機会を提供します。

7.2 学術コミュニティへ ― 領域横断の新しい知の生成

脳科学・現象学・認知科学・XR・AI・社会学・芸術理論など、これまで別々に展開してきた知を、「現実」というひとつの問いの周りに統合する場を提供します。

論文を書いて終わりではなく、研究成果を社会実装まで届ける道筋があることで、研究者は自らの知が社会に与える影響をリアルタイムで観察し、研究テーマを更新する材料を得ることができます。クロスアポイントメント、客員研究員、共同研究、国際共同プロジェクトなど、多様な関わり方を用意します。

7.3 学生・卒業生・受験生へ ―「世界を満たす人」になる場

学生にとって本研究所は、授業の延長線上で社会と接続する場です。研究プロジェクトに参加し、企業との共同案件に関わり、自分の作品が実際に社会に実装される経験を、在学中から積むことができます。

卒業生にとっては、生涯にわたって学び直し、再挑戦し、次の世代とつながるためのプラットフォームです。同窓ネットワークを「思い出」ではなく「現役の参加可能なリソース」として再起動する場です。

受験生 ― これからデジタルハリウッドの門を叩こうとする若いみなさんにとっては、「世界を満たす人になる」というキャリア・ビジョンの拠り所となります。スキル習得のための学校ではなく、自分の可能性で世界に価値を増やしていく実践の場が、ここにあります。

7.4 社会全体へ ― 主体性回復のインフラ

共同幻想が機能を失い、自由意志が否定され、戦争と分断が深まる時代に、多くの人が「自分には何もできない」という無力感のなかで生きています。本研究所は、この時代の問いへの一つの答えです。

自分の現実を自分で定義し直し続ける ― この最小単位の自由を取り戻した人たちが、意志と責任をもって自分の作品・サービス・実践を世界に実装していく。その集積が、世界の見え方を編み直していく。本研究所は、その連鎖反応を組織的に生み出す 主体性回復のインフラ として、社会全体に開かれています。


第9章 結び ― ともに世界を満たそう

ここまで読んでくださった方々へ。

世界は完成していません。だからこそ、人間の創造性には意味があります。

私たちは、共同幻想が機能を失った時代を生きています。何が正しく、何が間違っているのか、誰にも分からない。権威主義による戦争と分断は深まる一方で、自分一人に何ができるのかと問われれば、絶望しか感じない瞬間がある。

しかし、自分の現実は自分の内側にしか存在しません。あなたの世界は、あなただけのものです。あなたにしかできないやり方で、あなただけの色のペンキで、世界を塗っていくことができる。

一見虚無的に響くこの認識を一度くぐり抜けると、世界はむしろ明るく見え始めます。なぜなら、自分が定めた豊かな現実は、必ず外へ伝搬していくからです。

本研究所は、その実験場です。

すべてを疑い、自分自身と仲間を信頼し、科学的に仮説を立て、つくり、検証し、プロフェッショナルとして社会に届ける。意志を持って編集し、責任を持って実装する。そんな人たちが集まり、互いの現実を編集し合い、新しい世界の一片を満たしていく。研究者もクリエイターも、企業の方も、行政の方も、学生も、卒業生も、これから入ってくる若者たちも。

世界を満たせ。

あなたの色で、あなたのやり方で、あなたの可能性で。

その連鎖反応こそ、私たちが信じる希望です。

2026年7月 デジタルハリウッド大学 学長 藤井 直敬